「アリョーシャ」は、「カテリーナ」の燃えるような黒い大きな目が実に美しく、それが心もち黄ばんでさえ見える青白い瓜実顔にとりわけよく似合うことを発見しました。
しかし、その目には、魅惑的な唇の輪郭と同様、もちろん兄がひどく夢中に惚れこみはしても、おそらく永くは愛しつづけられそうもないような何かがありました。
その訪問のあと、「ドミートリイ」が、自分のいいなずけを見てどんな印象を受けたかを隠さず言ってほしいと、しつこく迫ったとき、彼はその考えをほとんどそのまま兄に述べました。
「あの人といっしょなら、兄さんは幸せになれるでしょうけど、でも、ことによると・・・その幸せは平和なものじゃないかもしれませんね」
この部分は、何か言葉では表せないような、かなり深いものを表しているのではないかと思います。
「アリョーシャ」は「カテリーナ」の美貌は認めながらも、その美しい目と魅惑的な唇の輪郭に何かわからないが、不穏なものを感じたのですね。
こういえばあまりにも短絡的な断言になるかと思いますが、目と口に人間の内面があらわれると言うことでしょう。
そして、それは否定することはできないことかもしれませんね。
「ドミートリイ」は言います。
「そうなんだ、ああいう女はいつまでたってもあのままさ。ああいう連中は運命と妥協しないからな。それじゃお前は、俺が彼女を永遠に愛しつづけることなんかないと思うんだな?」
また、ここでも「運命と妥協しない」という考えさせる言葉が出てきます。
この「運命」という言葉と「妥協」という言葉は、単に漠然とした状況を「諦める」ということ以上の内容を含んでいます。
「諦念」という言葉がありそれは「道理を悟って迷わない心」という意味がありますが、ここでいう「運命と妥協」はそういうことかも知れず、その人の置かれた社会的状況を甘んじて受けるのではなく、彼女の場合は何か心に中につねに反撥し乗り越えようとする意欲があるということでしょうか。
それは悪いことではないでしょうが、「アリョーシャ」の初対面での印象、つまり高慢で高圧的で傲慢でぞんざいで自信家というのは、そんなところからも来るものかもしれません。
そして「アリョーシャ」は言います。
「いいえ、ひょっとしたら、永遠に愛しつづけるかもしれないけど、ことによると、あの人といっしょにいて常に幸せというわけにはいかないかもしれませんよ・・・」
「アリョーシャ」はそのとき、兄の頼みに負けてこんな《愚劣な》考えを述べたことに対して、自分に腹を立て、顔を赤くしながら、意見を述べました。
それというのも、口にだしたとたん、この意見がわれながら恐ろしく愚劣なものに思えたからでした。
それに、一人の女性に関してこんな高びしゃな意見を吐いたのが、恥ずかしくなってもきたのです。
それだけに今、自分の方へ走りでてきた「カテリーナ」を一目見て、もしかするとあのとき自分はたいへんな誤解をしたのかもしれないと感じました。
作者は「アリョーシャ」を通して「カテリーナ」の印象を悪く書いていましたが、今度はそれを否定しにかかります。
このあたりの人間の揺れ動く微妙な心理はまだ若い「アリョーシャ」の人間性のようなものをみずみずしくあらわしています。
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