今の「カテリーナ」の顔は、偽りのない純真な善良さと、一途な熱烈な誠意とにかがやいていました。
あのときあれほど「アリョーシャ」をおどろかせた《気位の高さや高慢さ》のうち、今目につくのは、大胆な高潔なエネルギーと、何か明確な力強い自信だけでした。
「アリョーシャ」は彼女を一目見て、最初の一言で、愛する男に対する彼女の立場の悲劇性が、当人にとってはまるきり秘密ではなく、おそらく彼女はもうすべてを、完全に何もかもを承知しているにちがいないとさとりました。
「最初の一言」というのは、「よかったこと、あなたもとうとういらしてくださいましたのね!あたくし、一日じゅうあなたのことばかり神さまにお祈りしておりましたのよ!おかけ遊ばせ」でした。
「アリョーシャ」はこの一言で、彼女は「ドミートリイ」との結婚がなんら希望にみちたものではなく、むしろ悲劇が待ち受けているということを自分でわかったいたうえの選択だとわかっていると理解したのです。
が、それにもかかわらず、彼女の顔には光と、未来への信頼がみちていました。
「アリョーシャ」はふいに彼女に対して、重大な意識的な罪を犯しているような気持ちになりました。
彼女の中に苦難を乗り越える覚悟とたくましさを見たのでしょう。
そして「意識的な罪」とは、「アリョーシャ」の先入観で想像された上塗りされた架空の罪というような意味でしょうか。
とにかく、彼の判断は間違っていたのですね。
いっぺんに圧倒され、魅了されたのです、と書かれています。
これらすべてのほかに、彼女の最初の一言から彼は、相手がなにかはげしい興奮に、それも彼女にしてはきわめて珍しく、歓喜にさえ似た興奮にとらえられていることを見てとりました。
また、ここで「最初の一言」が出てきますが、これは彼女の悲劇性を含んだ認識を理解したという以外に何か全然別の理由による彼女の興奮を感じたということです。
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