第二部
第四編 病的な興奮
一 フェラポンド神父
朝早く、まだ夜明け前に、「アリョーシャ」は起されました。
長老が目をさまし、非常な衰弱を感じてはいたものの、それでもベッドから肘掛椅子に移りたいと望んだのです。
意識ははっきりしていました。
顔はきわめて疲労の色が濃いとはいえ、ほとんど嬉しそうにさえ見えるほど晴れやかでしたし、眼差しも楽しそうで、愛想よく、よびかけているかのようでした。
「ことによると、今日一日は持ちこたえられぬかもしれないよ」と長老は「アリョーシャ」に言いました。
普通は、「今日一日は持ちこたえらるかもしれないよ」だと思うのですが。
そのあと、ただちに懺悔と聖餐式とを望みました。
懺悔聴聞僧は「パイーシイ神父」ときまっていました。
どちらの秘儀も終ると、塗油式がはじめられました。
ここでは、「懺悔」「聖餐式」「塗油式」と言う宗教用語が出てきますが、教派ごとにやり方が違っており、ロシア正教ではどのようなものであったのでしょうか、また、このような場ですので、短時間で簡素に行われたと思うのですが、実際のことろは想像もつきません。
司祭修道士が集まり、庵室はしだいに修道僧たちでいっぱいになりました。
とかくするうち、日がのぼりました。
修道院からも人々がつめかけはじめました。
儀式が終ると、長老はみなに別れを告げることを望み、一人ひとりに接吻しました。
ここで言っている「儀式」とは「塗油式」のことですね。
庵室が狭いため、先に来た者は出て、ほかの者に席を譲りました。
「アリョーシャ」は、ふたたび肘掛椅子に移った長老のわきに立っていました。
長老は力の許すかぎり話し、説教しました。
その声は、弱々しくはありましたが、まだかなりしっかりしていました。
「あまり永年の間みなさんに説教しつづけてきたので、つまり永年の間大きな声でしゃべりつづけていたため、しゃべっているのが、また、口さえ開けばみなさんに説教するのが習慣のようになってしまって、今みたいに弱っているときでさえ、沈黙しているほうが、しゃべるよりむずかしいほどになりましたよ」
周囲に集まった人々を感動の目で眺めやりながら、長老は冗談を言いました。
やはり「ゾシマ長老」は偉いですね。
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