「同じことが、また見られるのではあるまいか?」ふと口をすべらしたかのように、「パイーシイ神父」は言いました。
「同じことがまた見られるぞ、同じことがまたみられるぞ!」周囲の修道僧たちがくりかえしました。
しかし、「パイーシイ神父」はまた眉をひそめ、せめてしばらくの間なりとこのことはだれにも他言せぬよう、みなに頼んだうえ、「もっと裏付けができるまで、言わずにいてほしい。なにせ世間には軽薄なことが多いし、それに今度のことはひとりでにそうなったのかもしれないからの」と、言質をとられぬためのように注意深く付け加えたが、そんな言いわけを自分でもほとんど信じていないことくらい、きいてきる人たちにも実に明白に見てとれました。
ここでは、「パイーシイ神父」は「アリョーシャ」から「ホフラコワ夫人」の手紙を見せられて「同じことが、また見られるのではあるまいか?」と言っているのですが、その「同じこと」というのは何らかの奇蹟ということですね。
そして、「もっと裏付けができるまで、言わずにいてほしい。」と言いましたが、何のことかわかりませんし、「それに今度のことはひとりでにそうなったのかもしれないからの」というのもどういうことなのでしょうか。
もちろん、この《奇蹟》はたちまち修道院じゅうはもとより、修道院の礼拝式に来た大勢の信者たちにまで、知れ渡りました。
実現したこの奇蹟に、だれよりもショックを受けたのは、どうやら、昨日遠い北国にあるオブドールスクの《聖シルヴェステル》という小さな修道院からはるばるやってきた修道僧らしく思われました。
これは昨日、「ホフラコワ夫人」のわきに立って、長老に一礼し、《病気を直してもらった》夫人の娘を指さしながら、「よくこんなことがなされるもんですね?」と、思い入れたっぷりに詰問した、あの修道僧でした。
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