彼は、それ以上ということはないにしても優に七十五くらいにはなっており、僧庵の養蜂場の裏の塀の一隅にある、ほとんど崩れかかった古い木造の庵室で暮らしていたが、この庵室はずっと以前、まだ前世紀のうちに、これもやはり偉大な斎戒と無言の行者で、百五歳まで生き永らえ、その偉業に関して多くのおもしろい話が今日まで修道院の中や近在一円に語り伝えられている「ヨナ神父」のために建てられたものでした。
「フェラポンド神父」の望みがかなって、やっとこのきわめて淋しい庵室に住めるようになったのは七年ほど前のことで、庵室といってもただの小屋にすぎませんでしたが、それでも小さな礼拝堂にそっくりで、寄進された聖像画が数多く安置されており、その前に寄進された燈明がいつもともされていたから、なんのことはない、「フェラポンド神父」は聖像画の番をし、燈明に火をともすためにここに置かれたようなものでした。
話によると(それはまた事実でもありましたが)、彼は三日間にせいぜい一斤半(訳注 約八百グラム)のパンを食べるだけでした。
斤(きん)は、尺貫法の質量の単位であり、伝統的には1斤は16両と定義されるが、その値は時代と地域により異なる、とのことです。
日本では、通常は1斤=16両=160匁とされる、とのこと。
グラムでいうと、1斤=600グラムだそうです。
現在の日本では「斤」は、食パンの計量の単位としてのみ使われており、これはパンが英斤を単位として売買された歴史に由来する、ただし、1斤として売られたパンの質量は時代とともに少なくなり、現在、公正競争規約は、食パンの1斤=340グラム(以上)と定めている、とのこと。
そのパンは三日に一度、この養蜂場に住む蜂飼いが届けてくれるのですが、よく仕えてくれるこの蜂飼いとも「フェラポンド神父」はめったに言葉を交わしませんでした。
三斤のパンと、日曜の午後の礼拝式のあと修道院長から正確に届けてよこす聖餅とが、彼の一週間の食料でした。
聖餅は「せいへい」と読み、キリスト教各教派によって、違いがあるようです。
神学用語というものがあり、その理解がなければよくわからないようですが、簡単に言えば、聖別(せいべつ)と言って、司教(主教)や司祭などの聖職者の祈りによって特化されて、聖変化、つまりぶどう酒とともにキリストの体と血の実体に変化する前の状態のパンのことでイーストを用いた発酵パン「プロスフォラ」のことらしいのですが、やはりよくわかりません。
そして、「フェラポンド神父」は、水については、大きなコップで毎日取りかえてもらっていました。
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