「フェラポンド神父」は礼拝式に顔を見せることはめったにありませんでした。
訪れる礼拝者たちは、彼が時によるとまる一日じゅう、膝立ちの姿勢のまま、わき目もふらずに祈りつづけている姿を目にしました。
かりに礼拝者たちと話をすることがあっても、この言葉は簡潔な、断片的な、奇妙なもので、常にぞんざいと言ってもよいほどでした。
しかし、ごくまれには訪問者と話しこむような場合もありましたが、たいていの場合、常に訪問者に大きな謎を投げかけるような、何か奇怪な言葉をぽつりと一言発するだけで、そのあとはどんなに頼まれても、何一つ説明しようとしませんでした。
彼は司祭の位を持たず、一介の修道僧にすぎませんでした。
もっとも、ごく無学な人たちの間にではありましたが、「フェラポンド神父」は天の精霊と交わりがあり、精霊たちとだけ話をしているため、人間とは口をきかないのだという、きわめてふしぎな噂が流れていました。
オブドールスクの修道僧は、これまたきわめて無口で気むずかしげな修道僧である蜂飼いの教えてくれたとおりに養蜂場にたどりつくと、「フェラポンド神父」の庵室のある一隅に向かいました。
「ことによると、遠来のお人ということでお話しになるかもしれませんし、ことによると最後まで一言もお言葉を得られないかもしれません」蜂飼いが釘をさしました。
修道僧は、のちに本人が伝えたところによると、この上ない恐怖をいだきながら、庵室に近づきました。
「のちに本人が伝えたところによると」ということは、この物語の書き手はこんなことまで知っているのですね。
もうかなり遅い時刻でした。
「フェラポンド神父」はこのとき、庵室の戸口のわきの低いベンチに腰かけていました。
頭上で巨大な楡の老樹がかすかに騒めいていました。
夕方の冷気が迫ってきていました。
オブドールスクの修道僧は高僧の前にひれ伏し、祝福を乞いました。
「このわしにも、ひれ伏せというのか?」と、「フェラポンド神父」が言いました。「立ちませい!」
修道僧は立ちました。
「祝福を授け、祝福を受けたのだから、隣に座るがいい。どこからござった?」
哀れな修道僧を何よりびっくりさせたのは、「フェラポンド神父」が、疑いもなくたいへんな精進生活を送り、しかもこれほどの高齢であるにもかかわらず、見た目にはまだ逞しい長身の老人で、背もますぐしゃんとしており、顔つきも痩せてこそいるが、生きいきして健康そうなことでした。
まだ相当な体力を内に秘めていることは、疑いありませんでした。
レスラーのような体格でした。
これほどの高齢にもかかわらず、まったく白髪というわけでもなく、以前は真っ黒だったにちがいない毛が頭にも顎にもまだ房々としていました。
灰色の大きな目は鋭い光を宿していましたが、ぎょっとするほど極端とびだしていました。
話し方にはOの字に強いアクセントをおくなまりがありました。
ひと昔前まで囚人ラシャとよばれた、目の荒い、赤茶けた長い百姓外套を着て、太い縄をベルトの代りにしめていました。
首と胸があらわにのぞいていました。
何ヶ月も脱いだことのない、ほとんど真っ黒に煮しめたようになった、厚い麻地のシャツが、百姓外套の下からのぞいていました。
この外套の下に、十二キロもある鎖帷子をつけているという話でした。
ほとんど原型をとどめない古い短靴を素足につっかけていました。
以上が、「フェラポンド神父」の外貌ですが、それほど好意的とは思えないですが、やけに詳しく書かれていますね。
オブドールスクの修道僧は、この「フェラポンド神父」に心惹かれるものがあるようです。
ある意味「フェラポンド神父」は、修行の極限にある人物で、「精霊」と交わりがあるとも言われる神秘性があります。
「フェラポンド神父」は「ゾシマ長老」と違って宗教のあちら側に行ってしまった人間です。
「ゾシマ長老」はあちら側に行って、帰ってきた人間だと思います。
「アリョーシャ」は「ゾシマ長老」にオブドールスクの修道僧は「フェラポンド神父」に傾倒しているというわけですね。
囚人ラシャとよばれた目の荒い、赤茶けた長い百姓外套に太い縄をベルトをつけ、その下にほとんど真っ黒に煮しめたような厚い麻地のシャツと十二キロもある鎖帷子、ほとんど原型をとどめない古い短靴といういで立ちはすさましいですね。
たぶん、臭いもすさましいものがあったのでしょうが、ここでは全くふれられていません。
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