2017年6月1日木曜日

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オブドールスクの小さな修道院から参りました。聖シルヴェステル(訳注 ローマ教皇。三一五–三三五在位。ローマの大聖堂を建てた)寺院です」と、遠来の修道僧は、いくぶん怯えがちでこそあるが、すばやい好奇の目で隠者を観察しながら、しおらしく答えました。

シルヴェステル一世はローマ教皇でキリスト教徒を迫害した罰で癩病になったコンスタンティヌス大帝が、彼の洗礼で治ったので大帝はキリスト教保護の立場に回ったとの伝説があるが、真偽不明。大帝から贈られた土地にローマの大聖堂としてラテラノ大聖堂を建てた、とのこと。

「お前のそのシルヴェステルのところには行ったことがある。しばらく暮しとったよ。で、シルヴェルスト(3文字の上に点)は達者かな?」

「フェラポンド神父」の言うことはよくわかりません。

修道僧は口ごもりました。

「まったく物わかりのわるい連中だ!精進はどんなふうに守っておる?」

「わたしどもの食事は、昔からの僧庵のしきたりに従って、こう定められております。四旬節(訳注 復活祭の前の日曜日六回を除く、四十日間の連続斎戒。四十日という期間はキリストの荒野の誘惑に先立つ四十日の断食にもとづく)について申しあげますると、月曜、水曜、金曜には食事を作りませぬ。火曜と木曜は修道僧たち全員に、白パン、蜂蜜煮に果物、キイチゴか塩漬けキャベツ、それにオート・ミールが出ます。土曜日は、肉気なしのキャベツ・スープに、素麺(ヌードル)入りの豌豆スープ、薄い粥、これにはみな植物油が入るのです。日曜にはキャベツ・スープに、干魚と粥がつきます。受難週間(訳注 四荀節の第五週。復活祭前の一週間)に入りますと、月曜から土曜の晩まで、六日間ずっと、パンと水だけで、そこに生野菜がつくのですが、これも控え目にで、毎日いただくわけにはまいりませず、第一週について申しあげたのと同じことでございます。キリスト受難の神聖な金曜日には、何も口にせず、同様に神聖土曜にも二時すぎまで斎戒をつづけてから、はじめてパンと水を少々、それにぶどう酒を一杯ずついただくことになっております。神聖木曜には油を使わぬ料理を食べ、ぶどう酒をいただくか、ときにはまったく汁気のないものを食べるのです。と申しますのも、ラオデキヤの教会会議で(訳注 四世紀に教会会議がラオデキヤ教会法を発布し、異端の取扱い、四荀節の守り方などを取り決めた)、神聖木曜に関して『四荀節の最後の週の木曜に斎戒を解いたりして、四荀節すべてを汚すべきではない』というふうに言っているからでございます。わたしどものところでは、ざっとこんなふうです。しかし、偉大な神父さま、あなたさまにくらべたら、これしきのことがいったい何でしょう」と、自分をはげますように、修道僧は付け加えました。「なにしろ、あなたさまは一年じゅう、神聖な復活祭にさえ、パンと水だけですましておられるのですし、わたしどもの二日分のパンがあなたさまの一週間にあたるのですから。あまりご立派なご斎戒ぶりに、ほとほとおどろきいるばかりでございます」

ここで「荒野の誘惑」をウィキペディアで調べて見ました。

荒野の誘惑(あらののゆうわく)はキリスト教の聖書正典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。キリスト教教理において重要な役割を果たしており、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは霊によって荒れ野に送り出され、そこに40日間留まり、悪魔(サタン)の誘惑を受けた。マルコによる福音書(1:12,13)、マタイによる福音書(4:1-11)、ルカによる福音書(4:1-13)の福音書に記述がある。マタイ伝とルカ伝によれば、《さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、 悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。(出典/口語訳聖書 Public Domain)》。

「で、きのこ(グルズジ)は?」だしぬけに「フェラポンド神父」がグの音をほとんどKHに近く、咽喉から押しだすように発音しながら、たずねました。

「きのこ?」修道僧はびっくりしてきき返しました。

「フェラポンド神父」はちょっとおかしくなっていますね。

「そうとも。わしはあの連中のパンなど全然要らぬから、断わるつもりだった。森にでも行けば、きのこや木の実で生きてゆかれるからの。それなのに、ここの連中はパンから離れようとせん、つまり悪魔に縛られておるのだな。この節は不浄の輩が、斎戒は必要ないなどとぬかしておる。こういう考えこそ、不遜な、不浄なものにほかならんのだ」


「ああ、本当でございます」修道僧は嘆息しました。


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