2017年6月2日金曜日

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「連中のところで悪魔を見たか?」と「フェラポンド神父」がたずねました。

「連中とはだれのことで?」と修道僧がおそるおそる質問しました。

「わしは去年の五旬節(訳注 復活最後五十日目の祭日。聖霊降臨祭のこと)に修道院長のところに行ったが、それ以来まったく行っとらん。悪魔を見たのはそのときだが、胸のあたりに坐って、僧服の下にもぐりこんで角だけのぞかせているのもあれば、ポケットの中から目をきょろきょろさせて、様子をうかがっているのもある。わしを恐れとるんだよ。また、腹の中に、いちばんけがれきった腹の中に住みついとるのもあれば、首ったまにぶらさがって、しがみついてるのもある。ところが、当人はそうして悪魔を運びながら、その姿が目にはいらんのだ」

「五旬節」つまり「聖霊降臨祭」とは何でしょうか、ウィキペディアで調べてみました。

ペンテコステ(ラテン語: Pentecostes)は、聖霊降臨(せいれいこうりん)と呼ばれる新約聖書にあるエピソードの1つ。イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、神からの聖霊が降ったという出来事のこと、およびその出来事を記念するキリスト教の祝祭日。教派により訳語は異なり、聖霊降臨祭(せいれいこうりんさい)、五旬節(ごじゅんせつ)、五旬祭(ごじゅんさい)ともいう。

また、聖霊降臨に関する記事は新約聖書の『使徒言行録』2章1節 - 42節にみられる。それによれば、復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて(使徒言行録1章8節)、天に昇っていく(キリストの昇天)。それから10日後、ユダヤ教の五旬祭の日に使徒とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降った。集まって祈っていた信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉(普通の人に理解できない「異言」ではなく、「外国語」のことである)で語り始めた。地中海世界全域に離散していたディアスポラのユダヤ人たちが、五旬祭のためにエルサレムに集まっていたが、(パレスチナ出身の)信徒たちが地中海世界各地の言葉で語っているのを聞いて驚いた。ペトロが中心になってイエスの死と復活の意味について語ると、多くの人が信じて洗礼を受け、使徒たちのグループに加わった。これが聖書が語る聖霊降臨の出来事である。

そして、キリスト教の聖霊降臨の日は、復活祭から(その日を第一日と)数えて50日後に祝われる移動祝日(年によって日付が変わる祝日)である。日付は毎年異なるが、西方では五月初旬から六月上旬の日曜日、東方では五月初旬から六月下旬の日曜日に行われる。各国によって聖霊降臨の日の祝い方はさまざまである。たとえばイタリアでは炎のような舌を象徴して式中にバラの花びらをまく。フランスでは激しい風のような音がしたことをあらわして式中にトランペットがふかれる。ドイツでは牝牛に花冠をつけ引き回す。聖霊降臨を描いた芸術作品は多いが、特に有名なものとしてエル・グレコの絵画『聖霊降臨』がある。

「あなたさまには・・・見えるのですか?」修道僧はきいてみました。

「見えると言っただろうが。すっかり見透せるわ。修道院長のところから出ようとして、ふと見ると、一匹の悪魔がわしに見つからぬようにドアのかげに隠れよった。それも大きなやつで、身の丈は一メートルかそれ以上もあるし、太くて長い茶色の尻尾をしておったが、その尻尾の先がちょうどドアの隙間に入りこんでおるんだな。わもばかじゃないから、いきなりドアをばたんと閉めて、やつの尻尾をはさんでやった。すごい悲鳴をあげて、あばれはじめたから、十字架で三度、十字を切ってやったよ。とたんに、踏みつぶされた蜘蛛みたいに、くたばりよったっけ。今ごろはきっとあの片隅で腐れはてて、悪臭を放っとるだろうが、連中には見えんし、においも感じてやせんさ。わしは一年も行っとらんしな。他国の人だからお前に教えてやるのだ」

まったく胡散臭い話ですが、本人にはそのように見えたのでしょうか、それとも多少創作したのでしょうか。

それにしても、いきなりドアをばたんと閉めて「悪魔」の尻尾をドアではさんでやったとか、「他国の人だからお前に教えてやるのだ」とか言う発言は聖職者らしくないですね。

「悪魔」を少し調べると宗教ごと、地域ごとにたいへんな種類があり、「フェラポンド神父」の見た「悪魔」は特定できませんでした。


ずっと、後で「イワン」も「悪魔」を見るところがあるのですが「フェラポンド神父」の見た「悪魔」と同じ種類なのでしょうか。


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