2017年6月27日火曜日

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そればかりでなく、「アリョーシャ」はつい昨夜まで、「カテリーナ」自身は熱烈なほど一途に兄「ドミートリイ」を愛しているのだと、疑いもなく信じていました。

しかし、昨夜までそう信じていたにすぎません。

そのうえ、なぜか彼はかねがね、彼女が「イワン」のような男性を愛するはずがない、彼女の愛するのは「ドミートリ」のような男性で、たとえそうした愛が突拍子もないものであるにせよ、現在のありのままの姿の兄を愛しているのだ、という気がしていました。

ところが昨夜、「グルーシェニカ」とのあの一幕のうちに、ふと彼には別のことが思いうかんだかのようでした。

今しがた「ホフラコワ夫人」の口にした《病的な興奮》という言葉が、彼をほとんど震えあがらせたのです。

この《病的な興奮》ということはどういうことなのか、具体的なイメージがわかりません。《病的》という言葉が社会性をも含んで使われているようにも思いますのでなおさらです。

なぜなら、まさに今日の暁方、半ば目ざめた状態で彼はおそらく自分の見た夢に答えながらだろうが、ふいに「病的な興奮だ、病的な興奮さ」と口走ったからでした。

昨夜は一晩じゅう、「カテリーナ」のところでの昨日のあの一幕を夢に見ていました。

そこへ今ふいに、「カテリーナ」は兄「イワン」を愛しているのに、何かの演技から、《病的な興奮》から、わざと自分を欺き、感謝の念から生じたとかいう「ドミートリイ」への偽りの愛によってみずから自分を苦しめているにすぎないという、「ホフラコワ夫人」の端的な、一本気な断言が、「アリョーシャ」をおどろかせたのです。

『そう、もしかすると、本当にあの言葉にまったくの真実があるのかもしれない!』しかし、それならば、「イワン」兄さんの立場はどうなのだろう?


「カテリーナ」は「イワン」を愛しているのでしょうか、そして「ドミートリイ」への愛は偽りの愛でしょうか、「アリョーシャ」は「ドミートリイ」のような人が「カテリーナ」にはあっていると思っていたのですが、それもわからなくなってきています。


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