2017年7月22日土曜日

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七 すがすがしい大気のなかでも

「すがすがしい空気じゃございませんか、どうも手前どもの御殿の中は、あらゆる意味でひどくむさくるしゅうござんしてね。少し歩きましょうか。ぜひあなたさまに興味のある話を申しあげたいと思いましてね」

「僕のほうもとても大事な用があるんです」と、「アリョーシャ」は言いました。「ただ、どう切りだせばいいのか、わからないもので」

「手前に用がおありのことくらい、もちろんわかっておりましたとも。用がなけりゃ、手前のところなど決してのぞいてくださるはずがござんせんからね。それとも本当にうちの坊主のことで文句を言いにいらしただけでございますか? まさか、そんな。ついでに坊主のことですが、あそこですべてを説明するわけにもまいりませんでしたので、今ここであのときの模様をお話ししときましょう。実は、このへちま(三字の上に傍点)もつい一週間前までは、もっと房々としておりましたんです。手前の申しているのは、この顎ひげのことでして。手前の顎ひげにへちま(三字の上に傍点)と綽名をつけましてね、主に中学生どもでございますが。ところであの日、お兄さまのドミートリイ・フョードロウィチが手前の顎ひげをつかんで、飲屋から広場へ引きずりだしたとき、ちょうど学校帰りの中学生たちが来合せて、そこにイリューシャもいたんでござります。あの子は手前のそんなざまを見るなり、とんできて、『パパ、パパ!』と叫びながら、しがみつき、抱きついて、手前を引き離そうとしたり、手前を痛めつけている相手に『放して、放してあげて、これは僕のパパなんです、パパなんです、赦してあげて』と叫んだりいたしましてね。『赦してちょうだいよ』と言うなり、小ちゃな手でお兄さまにすがりつくと、その手に、ほかならぬお兄さまの手に接吻するじゃございませんか・・・・あの瞬間、あの子がどんな顔をしていたか、今でも思いだします、忘れられないんです、決して忘れられるものじゃございませんよ!」

「ドミートリイ」がそんなひどいことをした理由は何なのか、「スネギリョフ」は説明しませんね、そして、「イリューシャ」がこのことに関係のない「アリョーシャ」に嚙みついて大怪我をさせたことについて、最初に謝るべきであると思うのですが、それもありません。

たぶん、自分のことに精一杯で他人を思いやる余裕もないのでしょう。

「僕、誓います」と、「アリョーシャ」は叫びました。「兄はたとえその同じ広場にひざまずいてでも、真心こめて、衷心から後悔の気持をあなたに示すはずです・・・・僕がそうさせます、それをしないようなら、もう兄じゃありません!」

「ははあ、するとまだ計画の段階でございますか。それもお兄さまから直接ではなく、あなたさまの熱しやすいお心の高潔さから出たお話にすぎないわけですね。それならそうおっしゃってくださればよござんすのに。いや、そういうことでしたら、ひとつ、お兄さまの高潔きわまりない騎士道、将校道の真髄をご披露させていただきましょうか、なにしろあの日立派にお示しになられたんでござんすから。お兄さまは手前のへちまをつかんで引きずりまわすのをやめて、やっと自由にしてくださったあと、『貴様も将校なら、俺も将校だ。れっきとした人間の介添人を見つけることができるんだったら、差し向けろ。貴様なんぞ人間の屑だが、いつても相手になってやる!』と、こう申されましたんですよ。まさに騎士道の真髄じゃござんせんか! そのあと手前はイリューシャといっしょにすごすごと帰ってきたのですが、一門の系図にとどまるようなこの光景がイリューシャの心の記憶に永久に刻みつけられたのでござりますな。いや、この上どうしておめおめと貴族であられましょう。まあ、考えてごらんなさいまし、あなたさまは今手前の御殿においでくださって、何をごらんになられました? 三人のレディが坐っておりましたでしょうが。一人は足なえで、頭のおかしい女、もう一人はいざりでせむし、三人目は両足ちゃんと揃って、利口すぎるくらいですが、まだ女学生で、ネワ河のほとりでロシア女性の権利を見つけだすんだとか申して、もう一度ペテルブルグへ行きたがっております。イリューシャのことは申すまでもござりません、まだやっと九つで、かけがえのない一人息子でございますですからね。手前がもし死んだりしたら、この家族たちはどうなるんでござんしょう、手前はこの点だけをあなたさまにお伺いいたしたいんで?かりにそういうことになって、手前が決闘を申し込んだりすれば、お兄さまはたちどころに手前を殺してしまうでしょうな、そしたらどうなります? そしたら家族の者たちみんなはどうなるんでございます? もっとわるいことに、もしお兄さまが手前を殺さず、片輪にするだけにとどめておかれたら、もはや働くこともならず、そのくせ食べる口だけは残るわけで、そうなったらいったいだれが手前の口を養ってくれましょう、だれが家族みんなを食わせてくれるんでござりましょう? それともイリューシャを毎日、学校へやる代りに、物乞いにでも出せとおっしゃるので? 手間にとって決闘を申し込むというのは、こういうことを意味するんでございますからね、愚にもつかぬ言葉ですよ。それ以外の何物でもございませんな」

ここは「スネギリョフ」の言う通りだと思います。

「ドミートリイ」を謝らせると言っているのはひとり「アリョーシャ」だけですが、これは彼の万能感からくることで、やはり本人の意志を確認して了解をとっていないので、不誠実といえるのではないでしょうか。

「兄はあなたに赦しを乞うでしょうよ、広場の真ん中であなたの足もとにひれ付しますとも」


眼差しを燃え上がらせて、「アリョーシャ」がまた叫びました。


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