2017年7月30日日曜日

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アレクセイ・フョードロウィチ・・・・手前は・・・・いえ、あなたさまは・・・・」

二等大尉は、崖からとびおりる決意を固めた人間のような顔つきで、異様に、奇怪にひたと相手を見つめ、同時に唇に薄笑いのようなものを漂わせながら、つぶやき、ふっと絶句しました。

「手前は・・・・あなたさまは・・・・いかがでしょう、今から手品を一つお目にかけますが!」

だしぬけに彼はしっかりした早口でささやきました。

その言葉はもはやとぎれたりしませんでした。

「手品って、何のことです?」

「手品ですよ、いともふしぎな手品でござります」

なおも二等大尉はささやきつづけました。

口が左にゆがみ、左目が細められて、彼はまるで吸いつけられたように、目をそらそうともせず、ずっと「アリョーシャ」を見つめていました。

「どうなさったんです、手品って何のことですか?」

「アリョーシャ」はすっかり肝をつぶして叫びました。

「こういう手品ですよ、ごらんなさいまし!」

ふいに二等大尉が金切り声を張りあげました。

そして、この会話の間ずっと右手の親指と人差指で二枚いっしょに端をつまんでいた百ルーブル札を「アリョーシャ」に示すと、突然なにやら凶暴な勢いでそれをひっつかみ、もみくちゃにし、右手の拳で固く握りしめました。

「見ましたか、ごらんになりましたか!」

青ざめ、半狂乱になって彼は「アリョーシャ」に金切り声で叫び、いきなり拳を上にふりあげると、力まかせに二枚のもみくちゃになった札を砂の上にたたきつけました。

「ごらんになりましたか?」

指で札を示しながら、彼はまた金切り声で言いました。

「ざっとこういうわけですよ!」

そして、いきなり右足を上げ、はげしい憎しみをこめて靴の踵で踏みにじり、一踏みするごとに叫びたて、息をあえがせるのでした。

「これがあなたのお金ですよ!あなたのお金だ!ほら、あなたのお金だ!あなたのお金ですよ!」

確かに、小さな紙切れが人間を生死を支配する力を持っているという世の中の仕組みをひっくり返すような「いともふしぎな手品」です。

二百ルーブルの価値が二枚の小さな紙切れに化けているのですから化けの皮をはがしてやったのでしょう。

「スネギリョフ」が「これがあなたのお金ですよ!」と四回も連続して繰り返し言っているのは、お金の価値の一般的な側面を客観的な立場で何度も考えた結果かもしれません。

ふいに彼はうしろにとびすさり、「アリョーシャ」の前で身をまっすぐ起こしました。

姿全体が口につくせぬ誇りをあらわしていました。

「あなたをお使いによこした方にお伝えください、へちまは自分の名誉を売りはいたしません、と!」

片手を宙にさしのべながら、彼は叫びました。

それからすばやく身をひるがえして、やにわに走りだしました。

だが、ものの五分も走らぬうちに、また全身でふりかえり、突然「アリョーシャ」に投げキスを送りました。

しかし、また五分と走らぬうちに、最後にもう一度ふりかえりましたが、今度はその顔にゆがんだ笑いはなく、反対に涙でうちふるえていました。

とぎれがちな、涙にむせぶ早口で、彼は叫びました。

「一家の恥とひきかえにあなたのお金を受けとったりしたら、うちの坊主に何と言えばいいのです?」

こう言いすてるなり、今度はもうふりかえろうともせず、まっしぐらに走り去って行きました。

ここで五分走っていますが、何だか五分走るのは長すぎるんじゃないかと思いました。

合計で十分走っているわけですから。

ネットで調べましたら、以下のような記事が見つかりました。

ジョギング:1Km当たり5分~6分
スロージョギング:1Km当たり7分~8分
超スロージョギング:1Km当たり9分~10分(早歩きと同じくらい)

つまり、早歩き程度の走り方でも十分で1Kmも離れて行くわけですから、「スネギリョフ」が涙を流していることなどわかりませんし、声も聞こえません。

「アリョーシャ」は口では言いあらわせぬ悲しみをいだいて、そのうしろ姿を見送っていました。

ああ、二等大尉自身、よもや札をもみくちゃにしてたたきつけようなどとは、最後の瞬間まで思ってもいなかったことが、彼にはよくわかりました。

走り去ってゆく二等大尉は一度もふりかえりませんでしたし、ふりかえるはずもないことは「アリョーシャ」も承知していました。

あとを追いかけて、よびとめる気はしませんでした。

理由がわかっていたからです。

二等大尉の姿が視界から消えると、「アリョーシャ」は二枚の札を拾いあげました。

札はひどく皺くちゃになり、おしひしゃげて、砂にめりこんでいましたが、まったくそっくりしており、「アリョーシャ」がひろげて皺をのばしにかかると、真新しい札のようにぱりっと音をたてたほどでした。

このわざわざとってつけたような描写、とくに「ぱりっと音をたてたほどでした」というのは、お金の力というか、現実のシムテムの強靭さの象徴のように思えます。


皺をのばすと、彼は札をたたんで、ポケットに入れ、頼まれた用事の首尾を報告するために「カテリーナ・イワーノヴナ」のところに向かいました。


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