「そう言いたければ、恋と言ってもいい。そう、俺はあのお嬢さんに、女学生にすっかり惚れこんだ。彼女のことで苦しんだし、彼女は俺を苦しめた。俺は彼女にうつつをぬかしていたもんだが・・・・ふいにすべてがけしとんだんだよ。さっき俺は意気ごんでしゃべっていたけど、外へ出てから大笑いしたよ、信じられるかい? そう、俺は掛値なしに言ってるんだぜ」
「今だってとても楽しそうに話してますよ」
事実ふいに快活になった兄の顔を見つめながら、「アリョーシャ」は指摘しました。
「それというのも、彼女を少しも愛していないってことが、わかったからさ! へ、へ! 蓋を開けてみたら、大違いだったってわけだ。しかし、とても好きだったんだがね! さっき演説をぶったときでさえ、好きだったよ。そう、今だってひどく好きだ、にもかかわらず彼女から離れ去るのが、実にせいせいした気持なんだ。俺が虚勢を張ってると思うかい?」
「いいえ。ただ、それは恋じゃなかったのかもしれませんね」
「アリョーシャ」
「イワン」が笑い出しました。
「恋の論議に深入りするのはやめとけよ! お前としちゃ不謹慎だぞ。さっきだって、さっきだって、あれは跳ね上がりだぜ、ええ! あの褒美に接吻してやるのを忘れていたよ・・・・それにしても彼女にはさんざ苦しめられたもんさ! 実際、病的な興奮なんぞに付き合っていたんだからな。ああ、彼女は俺が愛してるってことを承知していたんだよ。彼女が愛していたのも、ドミートリイじゃなく、この俺さ」
「イワン」が楽しげに言い張りました。
「ドミートリイは、病的な興奮にすぎないからな。さっき彼女に俺が言ったことは、全部まったくの真実だよ。しかし、問題は、いちばん肝心な問題は、自分がドミートリイなぞ全然愛してやせず、いつも苦しめてきたこの俺だけを愛しているってことに彼女が思いいたるのに、おそらく十五年か二十年はかかるだろう、という点なんだ。そう、今日の教訓にもかかわらず、たぶん彼女はいつになっても思いいたらないだろうな。まあ、そのほうがいいだろう。俺はぷいと立って、永久に去ってしますわけだ。ついでだからきくけど、
彼女は今どうしてる? 俺が出たあと、どうなったんだね?」
(461)で「イワン」が「カテリーナ」に「病的な興奮」で「ドミートリイ」を愛していると言っていましたね。
「イワン」は、振られたのだと思いますが、なぜかそんなふうに思っておらず、自分が振ったと思いたがっているようです。
そして、「カテリーナ」が本当は自分を好きだったんだと気づくまでに「十五年か二十年」かかるだろうと、負け惜しみを言っています。
「アリョーシャ」はヒステリーの話をして、たぶん彼女は今も意識不明でうわごとを言いつづけているはずです、と語りました。
「ホフラコワ夫人が嘘をついてるんじゃないのか?」
「イワン」は負け惜しみが強いばかりでなく、自尊心も強く、猜疑心も強いですね。
「どうもそうじゃないようです」
「確かめてみる必要があるな。もっとも、いまだかつてヒステリーで死んだ人間は一人もいないからね。それにヒステリーなら、いっこうかまわんよ。神さまは愛すればこそ女性にヒステリーを授けたんだからな。俺はあそこへは今後いっさい行かんよ。いまさらのこのこ出かけて行って、何になるというんだ」
「それにしても兄さんはさっき、あの人が一度も兄さんを愛したことがないなんて、言ってましたね」
「あれはわざと言ったのさ。アリョーシャ、シャンパンを注文しようか、俺の自由を祝って飲もうじゃないか。そうなんだ、どんなに俺が喜んでいるか、わかってもらえたらな!」
「いえ、兄さん、飲まないほうがいいですよ」
「アリョーシャ」がふいに言いました。
「おまけに僕はなんだか気持が沈んでいるし」
「うん、だいぶ前から沈んだ様子をしているな、俺はさっきから気づいていたよ」
「それじゃ、どうしても明日の朝、行ってしまうんですか?」
「朝? 朝なんて言ったおぼえはないぜ・・・・もっとも、朝かもしらんがね。実を言うと、今日ここで食事をしたのは、もっぱら親父といっしょに食事したくなかったからなんだ、それほど親父には愛想がつきたのさ。あの親父から逃げるためだけでも、とっくに出発しているべきだったよ。しかし、俺が行ってしまうのを、どうしてそんなに心配するんだい? 俺たちには出発まで、まだどのくらい時間があるかわからないぜ。まさに永遠の時間が、不死がさ!」
まさに、相手の都合を全く考慮しない勝手な話ぶりですね。
「明日行ってしまうのに、何が永遠なもんですか?」
「そんなこと、俺たちに何の関係がある?」
「イワン」が笑いだしました。
「だって自分たちの問題なら、まだ十分話し合えるじゃないか、自分たちの問題なら。何のために俺たちはここへ来たんだい? どうして、そんなにおどろいたように見ている? 答えてみな、何のために俺たちはここで会ったんだい? カテリーナに対する恋とか、親父とドミートリイのこととかを話すためにかね? 外国の話をするためか? ロシアの宿命的な状況についてか? ナポレオン皇帝の話かね? そうなのかい、そんなことのためにか?」
「いいえ、そのためじゃありません」
「イワン」は「どうして、そんなにおどろいたように見ている?」と「アリョーシャ」に聞き返しましたが、「アリョーシャ」としては、今この店に二人でいるのは、「イワン」が「ドミートリイ」と待ち合わせしているから偶然を装って来たまでだし、「イワン」とそんな話をするためではないのであって、彼の白々しさにあきれているのだと思います。
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