2017年8月21日月曜日

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「つまり、何のためか自分でもわかっているんじゃないか。ほかの連中はともかく、俺たち、嘴の黄色い若者は別なんだよ、俺たちは何よりもまず有史以前からの永遠の問題を解決しなければならない、それこそ俺たちが心を砕くべき問題なんだ。今や若いロシア全体が論じているのも、もっぱら有史以前からの永遠の問題だけだよ。まさしく今や、老人たちがふいに実際的な問題にかかずらいはじめたからなんだ。お前だって、それだからこそ、三ヶ月もの間、期待の目で俺を見つめつづけていたんだろう? 『汝はいかなる信仰をしているか、それともまったく信仰しておらぬか?』と、俺に問いただすためだろう、三ヶ月のあの目つきはまさにそこに帰結するってわけだ。そうじゃござんせんかね、アレクセイさん?」

実際にこの発言、つまり「アリョーシャ」が三ヶ月の間、「イワン」と話をしたそうにしていたのは、永遠の問題、つまり神の問題などを話し合いたいと思っていたからだろうと言うんですが、「イワン」が明日どこかへ去って行くとしても、これは今この状況で話す必然性はないのではないかと思います。

この部分については、たとえこのあとの展開に必要だとしもそのためにとってつけたような感があります。

「そうかもしれません」

「アリョーシャ」は微笑しました。

「まさか兄さんは今、僕をからかってるんじゃないでしょうね?」

ここでは、さすがにとってつけた感を打ち消そうとして「アリョーシャ」に「僕をからかってるんじゃないでしょうね?」と言わせて読者の心理の操作をしています。

「俺がからかってるって? いくら俺だって、三ヶ月もの間あんなに期待をこめて俺を見つめていたかわいい弟を嘆かせるつもりはないよ。アリョーシャ、まっすぐ俺を見てごらん、俺自身だってお前とそっくり同じような、ちっぽけな小僧っ子なんだよ。見習い僧でないだけでさ。ところで、ロシアの小僧っ子たちが今までどんな活動をしてきていると思う? つまり、一部の連中だがね? 早い話、この悪臭芬々たる飲屋にしても、そういう連中がここに落ち合って、片隅に陣どったとする。それまでは互いにまったく相手を知らず、いったん飲屋を出てしまえば、向う四十年くらいはまた互いに相手を忘れていまうような連中なのに、それがどうだい、飲屋でのわずかな時間をとらえて、いったい何を論じ合うと思う? ほかでもない、神はあるかとか、不死は存するかといった、世界的な問題なのさ。神を信じない連中にしたって、社会主義だの、アナーキズムだの、新しい構成による全人類の改造だのを論ずるんだから、しょせんは同じことで、相も変らぬ同じ問題を論じているわけだ、ただ反対側から論じているだけの話でね。つまり、数知れぬほど多くの、独創的なロシアの小僧っ子たちのやっていることと言や、現代のわが国では、もっぱら永遠の問題を論ずることだけなんだよ。そうじゃないかね?」

「ええ、本当のロシア人にとって、神はあるか、不死は存するのかという問題や、あるいは兄さんが今言ったように、反対側から見たそれらの問題は、もちろん、あらゆるものに先立つ第一の問題ですし、またそうでなければいけないんです」

相変らず例の静かな、探るような微笑をうかべて兄を見つめながら、「アリョーシャ」が言いました。

「そこなんだよ、アリョーシャ。ロシア人であることが、時にはまるきり賢明でない場合もあるけど、やはりロシアの小僧っ子たちが現在やっていることくらい愚劣なものは、考えもつかないな。しかし俺は、アリョーシャというロシアの小僧っ子だけは、おそろしく好きだけどね」

「うまくオチをつけましたね」

突然「アリョーシャ」が笑いだしました。

ロシアの思想史のようなものを脇に置いていなければ、このころのロシアのことがわかりませんので、「イワン」の話も十分にわかりません。

この小説は、いつのことが書かれているのか私の判断ではありますが、1866年ごろではないかと思っています。

翌1867年にはマルクスの『資本論』第1巻が出版されています。

この時代はヨーロッパにおいては観念論から唯物論への移行期にあたり、さまざまな思想が百花繚乱のように現われ出た時代です。

ロシアでもその影響は多大なものがありました。

ネットで調べるとこの頃の思想状況についてさまざまの出版物があり、記事がありますが、どれを選択していいのかもよくわかりませんので、不本意ではありますが目についたものを以下に紹介します。

「解放思想家たち:1861年に農奴が解放され、ロシアはようやく近代化の道を歩みだした。1860年代のチェルヌィシェフスキー、ドブロリューボフ、ピーサレフら急進的なニヒリスト(虚無主義者)たちは、既存の権威をいっさい否定したが、彼らもまた、インテリゲンチャと民衆、個人と社会、ヨーロッパ化と土着という伝統的な問題を追究したのだった。1870~1880年代には、ラブロフ、ミハイロフスキー、トカチョフらのナロードニキが、ヨーロッパの資本主義を回避するため、ロシア独自の道を求めた。そして、農村共同体に基づくロシア的社会主義の理論を打ち立てた。ナロードニキ出身のクロポトキンは、バクーニンのアナキズムを発展させた。しかし、プレハーノフ、レーニンらマルクス主義者は彼らを厳しく批判した。1917年、レーニンの指導のもとに革命が起き、レーニンの思想は、ソビエト・ロシアにおける思想の唯一の規範となった。

宗教思想家たち:一方、ロシア哲学の流れには、ホミャコーフ、キレーエフスキーらのスラブ派や、彼の文学そのものが近代ヨーロッパ文明に対するもっとも根本的な告発であったドストエフスキーを受け継ぐ、K・N・レオンチエフ、K・F・フョードロフ、V・S・ソロビヨフ、ローザノフ、ベルジャーエフ、フロレーンスキーら、ギリシア正教の立場にたつ宗教思想家の系譜がある。彼らは、反ヨーロッパ、反近代、反合理主義で共通している。いずれもソビエト時代には厳しく禁止された。」


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