「でも何のために、《これ以上愚劣な切りだし方はないといった感じで》、話をはじめたりしたんです?」
この「アリョーシャ」の質問は意外ですね、この場でなぜそのような質問が必要なのでしょうか、そして、「愚劣」とは一体何をもって愚劣というのでしょうか。
考えこむように兄を見つめながら、「アリョーシャ」はたずねました。
「そう、第一に、ロシア的表現のためさ。こういうテーマのロシア人の会話は、いつも、これ以上愚劣にはすすめられないといった感じで運ばれるからな。第二に、それでもやはり、愚劣になればなるほど、いっそう本題に近づくからな。愚かさというのは簡単だし、他愛ないけれど、知恵はずるく立ちまわって、姿を隠すもんだよ。知恵は卑怯者だが、愚かさは生一本で、正直者だからね。俺はついに絶望にまで立ちいたってしまったから、問題を愚劣に立てれば立てるほど、俺にとってはますます有利なわけさ」
「イワン」は「愚劣」に会話をはじめたことをふたつ説明しています。
そして「愚劣」の対極として「知恵」を挙げていますが、言い換えれば「凡用」と「知識」ということでしょうか。
ここでは、理念的であるはずの「イワン」が感性的、身体的なところから話をはじめたことに対する「アリョーシャ」の疑問による指摘と、理念的な人物であるはずの「イワン」が「愚劣」は「生一本で、正直者」と持ち上げて、「知恵」はずるく卑怯者だということの矛盾を突いているのかもしれません。
また、考えようによっては「愚劣」は「生一本で、正直者」で「知恵」はずるく卑怯者だというのですから、「農民」と「インテリゲンチャ」の比喩かもしれません。
「兄さんはなぜ《この世界を認めないか》を、僕に説明してくれる?」
「アリョーシャ」はつぶやきました。
「もちろん説明するとも。秘密じゃないし、そのために話をしてきたんだから。俺の望みはべつにお前を堕落させることじゃないし、お前を基盤から引きずりおろすことでもない。ことによると、お前の力をかりて俺自身を治療したいと思ってるかもしれないんだしな」
「イワン」の「ことによると、お前の力をかりて俺自身を治療したいと思ってるかもしれないんだしな」のようなどっちつかずの表現が相手にとっては彼が何を考えているのか、彼がどんな人物なのか、わかりにくくしていると思います。
ふいに「イワン」は、まるきり幼いおとなしい少年のように、にっこりしました。
「アリョーシャ」はこれまで一度として、兄のそんな笑顔を見たことがありませんでした。
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