「イワン」の会話の続きからです。
・・・・一例としてためしに今、もしあの恐ろしい悪魔の三つの問いが福音書から跡形もなく消え失せてしまい、それを復元して福音書にふたたび記入するために、新たな問いを考えだして作る場合を想定しうるとしたら、そしてそのために支配者や高僧、学者、哲学者、詩人など、この地上のあらゆる賢者を集めて、《さあ、三つの問いを考えて作るがいい、だがその問いは事件の規模に釣り合うだけではなく、そのうえわずか三つの言葉、わずか三つの人間の文句で、世界と人類の未来の歴史をあますところなく表現しうるようなものでなければならぬぞ》と課題を与えるとしたら、一堂に会した地上の全叡智は、はたしてあのとき力強い聡明な悪魔が荒野で実際にお前に呈した三つの質問に、深みや力から言って匹敵できるようなものを何かしら考えだせるとでも、お前は思うのか? これらの質問を見ただけで、またそれらの出現した奇蹟を見ただけで、お前の相手にしているのが人間の現在的な知恵ではなく、絶対的な永遠の知恵であることが理解できるはずだ。なぜなら、この三つの問いには、人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれているからだ。当時このことはまだ、さほど明らかではなかったかもしれない。なにしろ未来はうかがい知れぬものだったからな。しかし、すでに十五世紀をへた現在では、この三つの問いの中で何もかも実にみごとに推測され、予言され、ぴたりと的中しているので、もはやこの問いに何一つ付け加えることも、差し引くこともできないということが、よくわかるだろう。・・・・
ここで区切ります。
「三つの問い」のことが語られています。
読んでいると、これはいったい誰が語っているのかわからなくなりますが、叙事詩ですから、「イワン」が創作した語り手でしょう。
この「三つの問い」が「世界と人類の未来の歴史をあますところなく表現しうる」ものであり、「人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれている」と最大限の評価を与えています。
この本文にはもちろん「マタイによる福音書第四章」は出てきませんが、その内容はキリスト教の文化圏では常識なのでしょうか。
何の知識も無く、本文だけを読み進めていくと、なにやらわかりずらいところです。
「三つの問い」は「人間の現在的な知恵ではなく、絶対的な永遠の知恵」として、実際には言葉であらわせぬ深遠なものとして存在しており、それが福音書の中で「人間の文句」として人間に理解できる形で表現されているのですね。
そして、その「三つの問い」の中の言葉は十五世紀をへた現在、完璧に的中していると言っています。
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