2017年9月18日月曜日

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「イワン」の会話の続きからです。

・・・・彼らはそのときになってまた、地下の埋葬所(カタコンブ)に隠れているわれわれを探しまわり(というのも、われわれはふたたび弾圧され、迫害されているだろうからな)、見つけだして、訴えることだろう。《われわれに食を与えてください。天上の火を約束した人が、くれなかったのです》そうすればもう、われわれが塔を完成してやる。なぜなら、食を与える者こそ塔を完成できるのだし、食を与えてやれるのはわれわれだけだからだ。お前のためにな。いや、お前のためにと、われわれは嘘をつくのだ。ああ、われわれがいなかったら、人間どもは決して、決して食にありつくことはできないだろう! 彼らは自由でありつづけるかぎり、いかなる科学もパンを与えることはできないだろう。だが、最後には、彼らがわれわれの足もとに自由をさしだして、《いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください》と言うことだろう。ついに彼ら自身が、どんな人間にとっても自由と地上のパンとは両立して考えられぬことをさとるのだ。それというのも、彼らは決してお互い同士の間で分ち合うことができないからなのだ! 彼らはまた、自分たちが決して自由ではいられぬことを納得する。なぜなら、彼らは無力で、罪深く、取るに足らぬ存在で、反逆者だからだ。お前は彼らに天上のパンを約束した。だが、もう一度くりかえしておくが、かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい人間種族の目から見て、天上のパンを地上のパンと比較できるだろうか? かりに天上のパンのために何千、何万の人間がお前のあとに従うとしても、天上のパンのために地上のパンを黙殺することにできない何百万、何百億という人間たちはいったいどうなる? それとも、お前にとって大切なのは、わずか何万人の偉大な力強い人間だけで、残りのかよわい、しかしお前を愛している何百万の、いや、海岸の砂粒のように数知れない人間たちは、偉大な力強い人たちの材料として役立てばそれでいいと言うのか? いや、われわれにとっては、かよわい人間も大切なのだ。彼らは罪深いし、反逆者でもあるけれど、最後には彼らとて従順になるのだからな。彼らはわれわれに驚嘆するだろうし、また、われわれが彼らの先頭に立って、自由の重荷に堪え、彼らを支配することを承諾してくれたという理由から、われわれを神と見なすようになることだろう、-それほど最後には自由の身であることが彼らには恐ろしくなるのだ! しかし、われわれはあくまでもキリストに従順であり、キリストのために支配しているのだ、と言うつもりだ。・・・・

ここで切ります。

何か、難しくて、重要なことが話されているように思います。

そして悪魔は「食を与えてやれるのはわれわれだけだからだ」と言います。

このこと、つまり悪魔の言う「食を与えてやれるのはわれわれだけだからだ」がこの話の前提になっていますが、ここではそれを疑うことなく読み進めなくてはなりません。

そして、「お前のためにな。いや、お前のためにと、われわれは嘘をつくのだ」と言っていますが、「お前」というのはキリストのことですね。

《いっそ奴隷にしてください、でも食べものは与えてください》という言葉は人間としての尊厳を欠いた言葉ですね。

人間は、①分かち合うことできず、②無力で、③罪深く、④取るに足らぬ存在で、⑤反逆者で、⑥かよわい、⑦永遠に汚れた、⑧永遠に卑しい種族とまで言っています。

そして、自由と地上のパンとは両立できないと。

「天上のパン」と「地上のパン」というのは何でしょうか。

「地上のパン」はわかりますが、キリストが約束した「天上のパン」とは。

「何千、何万の人間がお前のあとに従う」とのことですので「天上のパン」というのはキリスト教の信者のことですね。

そして「天上のパンのために地上のパンを黙殺することにできない何百万、何百億という人間たち」とおうのはそれ以外の人です。

悪魔は、そのような人も「われわれにとっては、かよわい人間も大切なのだ」と言います。

「われわれが彼らの先頭に立って、自由の重荷に堪え、彼らを支配することを承諾してくれたという理由から、われわれを神と見なすようになることだろう」この中の「彼らを支配することを承諾してくれた」というのは、彼らに頼まれて支配するということですから、一筋縄ではいかない支配と被支配の構図です。

そして悪魔はさらに、自分たちを神と見なすようになった民衆に対して、そうではなくて神はキリストでありキリストのためにしていることだと言うというのですからさらに複雑です。

つまり、民衆を支配するためにキリストを使うということです。

悪魔によると、今のキリスト教社会は共産主義によって滅ぼされるのですね。

そして、それも共産主義はその理念通りに完成されることはなく、「ふたたび恐ろしいバベルの塔がそびえ」ることになるのです。


なんだか、この歴史観は当たっているように思えます。


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