2017年9月22日金曜日

540

「イワン」の会話の続きからです。

・・・・お前に惹かれ、魅せられた人間が自由にあとにつづくよう、お前は人間の自由な愛を望んだ。昔からの確固たる掟に代って、人間はそれ以来、自分の前にお前の姿を指針と仰ぐだけで、何が善であり何が悪であるかを、自由な心でみずから決めなければならなくなったのだ。だが、選択の自由などという恐ろしい重荷に押しつぶされたなら、人間はお前の姿もお前の心理も、ついにはしりぞけ、反駁するようにさえなってしまうことを、お前は考えてみなかったのか? 最後には彼らは、真理はお前の内にはないと叫びだすだろう。なぜなら、彼らにあれほど多くの苦労と解決しえぬ難題を残すことによって、お前がやってのけた以上に、人間を混乱と苦しみの中に放りだすことなぞ、とても不可能だからだ。こういうわけで、お前自身が自己の王国の崩壊に根拠を与えたのだから、もはやこの点ではだれをも責めてはならないのだ。実際また、お前が提案されたのも、このことではなかっただろうか? ・・・・

ここで切ります。

この中で「善」と「悪」という言葉が出てきますが、この判断こそ人間にとっては困難なことであると言っています。

「善」と「悪」の判断は個々の人間にまかされており、正しく判断しうることもあるし、誤ることもあるでしょう、そういったことの集積が混乱を招き、キリスト教社会の崩壊につながっているということでしょう。


そして、その判断の自由を誰かに手渡せば、人間はもっと楽になれるのだから、悪魔がキリストに提案したのはそのことだと。


0 件のコメント:

コメントを投稿