2017年9月26日火曜日

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「イワン」の会話の続きからです。

・・・・強い人たちが堪え忍んだことに、それ以外の弱い人たちが堪えられなかったからといって、何がわるいのだ? 弱い魂があんな恐ろしい物を受け入れられぬからといって、いったい何がいけないのだ? まさか本当にお前は選ばれた者のために、選ばれた者のところへだけやって来たわけではないだろう? だが、もしそうなら、それは神秘であって、われわれの理解すべきことではない。また、もしそれが、神秘であるなら、われわれも神秘を伝道して、《大切なのは心の自由決定でもなければ愛でもなく、良心に反してでも盲目的に従わねばならぬ神秘なのだ》と教えこむ権利があるわけだ。われわれがやったのは、まさにそれさ。われわれはお前の偉業を修正し、奇蹟(二字の上に傍点)と神秘(二字の上に傍点)と権威(二字の上に傍点)の上にそれを築き直した。人々もまた、ふたたび自分たちが羊の群れのように導かれることになり、あれほどの苦しみをもたらした恐ろしい贈り物がやっと心から取り除かれたのを喜んだのだ。われわれがこんなふうに教え、実行してきたのは正しかったかどうか、言ってみるがいい。われわれがかくも謙虚に人類の無力を認め、愛情をもってその重荷を軽しくてやり、われわれの許しさえあれば、人類の意気地ない本性に対して、たとえ罪深いことでさえ認めてやったからといって、はたしてそれが人類を愛さなかったことになるだろうか? いったい何のためにお前は今ごろになってわれわれの邪魔をしに来たのだ? それにどうして黙りこくって、そんな柔和な目でしみじみとわしを眺めている? 怒るがいい。わし自身お前を愛していないのだから、お前の愛なぞほしくない。それに、このわしがいったい何をお前に隠しだてせねばならないのだ? それとも、わしが今だれと話しているか、知らぬとでも言うのか? わしがこれから言おうとすることは、お前にはもうすべてがわかっているはずだ。それくらい、お前の目を見れば読みとれるさ。このわしまで、われわれの秘密をお前に隠すと思うのか? ことによるとお前はその秘密をわしの口からききたいのかもしれんな。それなら、よくきくがいい。われわれはもはやお前にではなく、彼(一字の上に傍点)(悪魔)についているのだ、これがわれわれの秘密だ! もうだいぶ以前からお前ではなく、彼についておるのだ。すでに八世紀にもなる。ちょうど八世紀前、われわれは彼から、お前が憤りとともにしりぞけたものを、つまり、彼が地上のすべての王国を示してお前にすすめた、あの最後の贈り物を受けとったのだ(訳注 紀元七五四年、フランク王のピピンが教皇ステファヌス二世から承認されて国王となり、そのお礼に中部イタリアの土地を教皇領として寄付したことをさす)。われわれは彼からローマと帝王の剣とを受けとり、自分だけが地上の帝王であり唯一の帝王であると宣言したのだ。もっともいまだにわれわれの仕事を完全な仕上げに持ってゆけずにいるけれども。だが、それがだれの罪なのだろう? そう、この仕事はいまだに初期の段階にすぎないけれど、とにかく始められたのだからな。完成までこの先まだ永いこと待たなければならないし、大地はこれからもたくさん苦しみぬくことだろうが、われわれはいずれ目的を達して帝王になり、そのときこそもう人々の全世界的な幸福を考えてやるのだ。・・・・

ここで切ります。

フランク王のピピンはウィキペディアで調べてみましたが、文中で書かれていたような事実のことはさがせませんでした。

教皇ステファヌス二世とは、「752年3月23日に教皇に選出されるが、その3日後に脳卒中で死亡。最も在位期間が短い教皇。教皇冠を受けることなく死亡しているため、正式な歴代ローマ教皇リストから除かれている。「二世」という名称の代を示す序数は欧米では付されておらず「教皇選出者ステファヌス」か、或いは括弧付きで「二世」と表記される。この結果、日本ではステファヌス二世以降は、序数がずれることになり、例えば日本でのステファヌス三世は、欧米ではステファヌス二世と表記されるか、或いはステファヌス二世(三世)と括弧付きで記載される。」とのことです。

しかし、ここで大審問官は、自分が悪魔の側についたのだとはっきりと宣言しました。

キリスト教がなしえなかった不備を修正したのです。


つまりキリスト教が一部の人間にたいしてだけ行ったことを、人間の本当の姿を正しく知ることによって全体に敷衍し、それに応じた対策を施したということなのでしょう。


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