2017年9月28日木曜日

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「イワン」の会話の続きからです。

・・・・だがそのとき、そのときはじめて人々にとって平和と幸福の王国が訪れるのだ。お前は自分の選良たちを誇りにしているが、お前のはしょせん選ばれた人々にすぎないし、われわれはすべての人に安らぎを与えるのだからな。そのうえさらに、こう言えるのではないだろうか。それらの選ばれた人々や、選ばれた人になりえたはずの力強い人々のうちの大部分は、お前を待っているうちに、しまいに疲れてしまい、自己の精神力や情熱をほかの分野に移してしまったし、今後も移すことだろう、そして最後にはお前に対してその自由(二字の上に傍点)な反旗をひるがえすようになるのだ。だが、お前自身もその旗をひるがえしたのだったな。われわれの下ではあらゆる人が幸福になり、もはやお前の自由にひたっていたころのように、いたるところで反乱を起すことも、互いに滅ぼし合うこともなくなるだろう。そう、人々がわれわれのために自由を放棄し、われわれに服従するときこそ、はじめて自由になれるということを、われわれは納得させてやる。どうだね、われわれの言うとおりになるだろうか、それともわれわれが嘘をつくことになるだろうか? われわれの正しさを、彼らは自分で納得するはずだ。なぜなら、お前の自由とやらがどんなに恐ろしい隷属と混乱に導いたかを、彼らとて思いだすだろうからな。自由や自由な知恵や科学などは彼らを深い密林に引きこみ、たいへんな奇蹟と解決しえぬ神秘の前に据えてしまうので、彼らのうちの反抗的で凶暴な連中はわれとわが身を滅ぼすだろうし、反抗的であっても力足りぬ者は互いに相手を滅ぼそうとし合い、あとに残った弱虫の不幸な連中はわれわれの足もとにいざり寄って、泣きつくことだろう。《そうです、あなたのおっしゃるとおりでした。あなた方だけが神の神秘を支配していたのです。あなた方のところに戻ってまいりますから、わたしたちを自分自身から救ってください》とな。われわれからパンをもらう際に、もちろん彼らは、自分たちの手で獲得したパンをわれわれが取りあげてしまうのは、いっさいの奇蹟なしに分配してやるためだったことを、はっきりとさとるだろうし、われわれが石をパンに変えたりしなかったことにも気づくだろうが、本当の話、彼らはパンそのものより、われわれの手からパンをもらうことのほうをずっと喜ぶだろう! なぜなら、以前われわれのいなかったころには、自分らの稼いだパンが手の中で石ころに変わってしまってばかりいたのに、われわれのところに戻ってくると、ほかならぬその石ころが手の中でパンに変ったという事実は、あまりにも記憶に新ただろうからな。永久に服従するということが何を意味するか、彼らはどんなに高く評価しても評価しすぎることはないのだ! そして、このことをさとらぬかぎり、人間は不幸でありつづけるだろう。・・・・

ここで切ります。

この辺まで話がくると、もう論の展開はなくなり、言葉を変えて繰り返すのみになります。

つまり、キリストは選ばれた者たちだけを幸福にし、選ばれなかった者たちは取り残される、しかも肝心なときに現れず、人々がキリストが現れるのを待つ間にも混乱が起こっている。

悪魔はすべての人間にパンを与え永遠に幸福にし、人々もそのことに納得すると。


これだけを聞けば、悪魔の側に軍杯があがりそうですが。


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