アレクセイ・カラマーゾフの手記はここで終っています。
くりかえして言うが、これは完全なものではなく、断片的なものです。
たとえば、伝記的資料にしても、長老の青春時代のごく初期を含むにすぎません。
また長老の説教や見解から、明らかにさまざまな時期に、いろいろな動機から語られたと見られるものが、一つのまとまったもののように集められています。
いずれにせよ、長老が生涯の最後の数時間に語ったことは、正確に指定されておらず、アレクセイ・カラマーゾフが以前の説教から手記に収めた部分と対比すれば、その法話の性格や真髄について概念が得られるというにすぎません。
ところで長老の死は、まったくふいに訪れました。
なぜなら、この最後の晩、長老のもとに集まった人はすべて、長老の死が間近であることを承知してはいたものの、まさかこんなに突然それが訪れようなどと予想もできなかったからです。
むしろ反対に、すでに述べたとおり、友人たちは、その晩の長老がきわめて元気で雄弁そうなのを見て、たとえしばらくの間にすぎぬとはいえ、病状が見に見えて好転したと思いこんだほどでした。
あとでふしぎそうに伝えられた話によると、死の五分前でさえ、何一つまだ予想できなかったといいます。
長老は突然はげしい痛みを胸に感じた様子で、蒼白になり、両手をぎゅっと胸にあてました。
それを見てみなが席を立ち、長老のそばに駆けよりました。
しかし、長老は苦しみながら、なおも微笑をうかべて一同を眺めやり、静かに肘掛椅子から床にすべりおりて、ひざまずいたあと、大地にひれ伏し、両手をひろげ、喜ばしい歓喜に包まれたかのように大地に接吻し、祈りながら(みずから教えたとおりに)、静かに嬉しげに息を引きとったのでした。
長老逝去の知らせはただちに僧庵にひろまり、修道院にも達しました。
故人と親しかった人々や、役職からみてふさわしい人々が古式にのっとって遺体に装束を着せにかかり、修道僧はみな会堂に集まりました。
のちに噂できいた話ですが、逝去の報は夜明け前にすでに町に達していたといいます。
朝までにはほとんど全市がこの出来事を話題にし、大勢の市民が修道院につめかけてきました。
しかし、その話は次の編で語ることにして、今はただ、ほんの一日とたたぬうちに、だれにとっても思いがけぬ事態が生じたことだけを言い添えておきましょう。
それは、修道院の内部や町じゅうにもたらした印象から言っても、きわめて異様な、不安な、辻褄の合わぬ事態だったため、何年もたった現在でも、多くの人々にとって実に不安だったその一日の思い出が、この町に生きいきと残っているほどなのです・・・・
「ゾシマ長老」は亡くなりました。
理想的な死というものがあるとすれば、彼の死はそうであったと思います。
しかしこの語り手は読者の注意を最大限に集めたうえ、次の第三部に引き連れていくのですね。
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