2017年12月28日木曜日

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というわけで、話に戻ります。

これは、語り手が「話に戻ろう」と書いているのです。

あまり、語り手が表に出てくると、私の文章との区別がつかなくなってきますね。

続けます。(←これはわたし)

まだ夜の明けぬうち、埋葬の支度のととのった長老の遺体を柩に納め、かつて接客用だったとっつきの部屋に運びだしたとき、柩に付き添っていた人々の間に、部屋の窓を開けなくてよいだろうかという疑問が、ふと生じかけました。

しかし、だれかが何の気なしにふと口に出したこの疑問は、返事もないまま、ほとんど気にもかけずにききすてられました。

ききとがめた者があったとしても、そこに居合わせた者のうち何人かが、心の内でそう思ったにすぎなかったし、それも、そんな疑問を口に出した人間の信仰不足と不謹慎さたるや、嘲笑とまでゆかなくとも同情に値するほどだ、といった意味でしかありませんでした。

その疑問というのは、実際に口に出されたのですね、そして、無視されたということですが、この辺の微妙な感情をちきんと描写していますね。

それというのも、人々が期待していたのは、正反対のことだったからです。

ところが午後に入るとすぐ、ある事態が生じはじめました。

出入りする人々は最初のうちもっぱら無言で心ひそかにそれを受けとめ、だれもが心に生れかけた考えを人に告げることを明らかに恐れてさえいる様子でしたが、午後三時ころまでには事態はもはや否定しえぬほど明白なものとなったため、この知らせはたちまち僧庵全体や、僧庵を訪れたすべての信者たちの間に広まり、時を移さず修道院にも伝わって、修道院の人々みんなを仰天させ、ついには、ごく短い時間のうちに町にまで達して、信者たると不信者たるを問わず、町じゅうの人間を興奮させるにいたりました。

不信者は大喜びしましたが、信者たちはどうかと言うと、彼らのうちにも不信者以上に喜んだ連中もいました。

それというのも、物故した当の長老がかつてある説教で述べたとおり、『人々は心正しき者の堕落と恥辱を好む』からにほかならない。

その事態とは、ほかでもない、柩から少しずつではあるが、時間がたつにつれてますます顕著に腐臭が立ちのぼりはじめ、午後三時ころまでにはそれがもはやあまりにも明らかになって、しだいに強烈さを増してきたことです。

この出来事の直後に修道僧たちの間にさえ見られた、ほかの場合には決してありえぬような、はしたないほど慎みを忘れた罪深い騒ぎは、たえて久しくなかったものでしたし、修道院の過去の歴史をふりかえっても思い起すことさえできぬくらいでした。

後日、それもすでに何年もたってから、分別をそなえた一部の修道僧たちが、この一日のことを詳細に回顧して、いったいどうしてこのときの罪深い騒ぎがこんなにまでなったのかと、ふしぎがり、慄然としたものです。

なぜなら、以前にも、きわめて正しい生活を送り、その正しさをあらゆる人に認められていたような修道僧や、敬神の念あつい長老たちが死んだとき、そのつつましい柩から、ごく当然のことながらすべての死者の場合と同じように腐臭が発したことはあったのですが、こんな罪深い騒ぎはおろか、些細な動揺さえひき起さなかったからです。

ここでは、腐臭が発生したということではなく、そのことによる修道僧たちの騒ぎが未だかつてなかったこととして焦点があてられていますね。

どうしてそのような騒ぎになったのかはよくわかりませんが、その時の時代の空気や町の空気や修道院内の空気の中に騒ぎを生じさせる何かがあったのでしょう、つまりタガが外れてしまったのですね。


もちろん、この修道院にも、ずっと昔に亡くなった修道僧たちの中には、いまだに修道院じゅうに生きいきと思い出が保たれており、しかも語り伝えによれば、遺体が腐臭を示さなかった人も何人かあって、そのことは修道僧たちに感動にみちた神秘的な影響を与え、なにか荘厳な奇蹟的なこととして、さらにはまた、いったん神の意志によってその時が訪れたなら、将来いっそう大きな栄誉がその墓所から現われるという聖なる約束として、人々の記憶に保たれつづけてきました。


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