2017年12月30日土曜日

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腐敗が明らかになりはじめるや、故人の庵室に入ってくる修道僧たちの顔つきを見ただけでもう、その用向きを推察できるようになりました。

彼らは部屋に入ってきて、しばらくたたずんでから、外に群がって待っているほかの連中に一刻も早くニュースを裏付けてやろうと出てゆきます。

待っている人々の中には、悲しそうに首を振る者もありましたが、その他の者は底意地のわるい眼差しに露骨にかがやく喜びの色を、もはや隠そうとすらしませんでした。

そして今やだれひとり彼らを非難する者もなければ、弁護の声をあげる者もなく、これはむしろふしぎでさえありました。

なぜなら、故長老の心服者は修道院内では依然として多数派だったからです。

しかし、きっと神みずからが、今回は少数派が一時的に勝ちを制するように計らったのでしょう。

間もなく、俗世の人々も同じように様子を探りに庵室に立ち現れるようになりましたが、たいていは教養のある客たちでした。

平民階級の者は、僧庵の門のあたりに大勢ひしめいてはいたものの、中に入ってくるのは少数でした。

三時を過ぎると俗界の弔問客の波がにわかに増え、それが例の誘惑的なニュースのせいであることは、疑いもありませんでした。

この日まったく来るはずのなかった人々や、来るつもりのなかった人たちが、今やわざわざ駆けつけてきましたし、その中には何人かの高官の顔も見えました。

しかし、一応の秩序は表面的にはまだ破られておらず、「パイーシイ神父」も、すでにたいぶ前から何やら異常な空気に気づいてはいたものの、そんな事態は気にもとめぬかのように、厳粛な面持で、しっかりと歯切れよく、大声で福音書を朗読しつづけていました。

だが、そのうちに、最初はきわめて小さく、しだいに勇気を得て張りを帯びてきた人声が、彼の耳にも達するようになってきました。

「つまり、神さまのお裁きは人間の裁きとはわけが違うのだ」

突然、「パイーシイ神父」はこんな言葉を耳にしました。

いちばん先にそれを口に出したのは、俗界の人で、すでにかなりな年配の、町の官吏であり、きわめて信仰の篤い人物として知られていましたが、彼が口に出してこう言ったのも、だいぶ以前から修道僧たちがお互いの間で何度も耳打ちし合っていたことを、くりかえしたにすぎませんでした。

修道僧たちはもうずっと前からこの絶望的な言葉を口にしていたのであり、何よりわるいのは一種の勝利感が、この言葉を口にするたびにほとんど刻一刻と露骨になり、増大してきたことでした。

しかし、ほどなく、秩序そのものさえ破られるようになり、まるでだれもがそれを破る当然の権利を持っていると感じているかのようでした。

「それにしても、なぜこんなことが起りうるのだろう?」

修道僧たちの中には、最初のうち、さも同情するかのように、こう言う者もありました。

「あんな小柄な、枯れきったお身体で、骨と皮だけだったのに、どうしてこんなにおいが生ずるんだろう?」

「つまり、神さまがわざわざお示しくださろうとなさったわけだ」

他の連中が急いで付け加え、この意見は文句なしにすぐ受け入れられました。

なぜなら、かりにすべての罪深い死者の場合と同じように、腐臭の生ずるのが当然であるとしても、なにもこんな露骨なほど早くではなく、もっと遅く、少なくとも一昼夜だってから生ずるはずであり、つまるところこれは神とその賢い御手のなせるわざにちがいないという点が、またしても指摘されたからです。

神は教示なさろうとしたのです。

この意見は反駁の余地なく人々の心を打ちました。

「ゾシマ長老」は修道院の多数派であったにもかかわらず、今やこのような悪意が修道院内で支配的になっているということは、どういうことなのでしょうか。

本当に「ゾシマ長老」を信頼している修道僧ならばそのような発言や行動はとらないでしょう。

詳しいことはよくわかりませんが、「ゾシマ長老」派と反「ゾシマ長老」派の間に中間層が大勢いたことになるのではないでしょうか。

つまりちょっと不自然だとは思いますが「ゾシマ長老」死後の力関係により中間層が寝返ったのでしょう。


しかし、もしそうであればこの修道院の中も一般的な組織と少しも変わらないということですが作者はそういうことを言いたいために、はじめから修道院の中の反「ゾシマ長老」派の存在を書いたのでしょうか。



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