「そいつは悲しいことがあるのさ。位を授からなかったんでね」
「ラキーチン」がどら声で言いました。
「何の位を?」
「長老がいやなにおいをさせたのさ」
「いやなにおいって? また何か下らないことを言っているのね、何かいやらしいことを言うつもりなんだわ。黙りなさいよ、ばかね。ねえ、アリョーシャ、あたしを膝にのせてくれる、こうやって!」
「ラキーチン」のくだらない軽口を簡単にいなしているのはいいとしても、「膝にのせてくれる」とは大胆ですね。
そして突然、すばやく腰をうかせると、じゃれつく子猫のように、笑いながら彼の膝にひょいと坐って、右手でやさしく首を抱きました。
冗談ではなく、「グルーシェニカ」は「アリョーシャ」の膝の上に本当に乗ってしまいました、これはどんな情景でしょうか、こんなことはロシアのではありうることでしょうか、日本ではこの関係でこの状態はありえませんが。
「あたしが楽しくさせてあげるわ、信心深い坊や! ううん、本当に膝の上に坐っていてもいい、怒らない? 命令すれば、すぐにおりるわ」
「アリョーシャ」は黙っていました。
身動きするのも恐れて、じっと坐っていました。
「命令すれば、すぐにおりるわ」という彼女の言葉はきこえましたが、しびれてしまったかのように、返事をしませんでした。
しかし、彼の心の内にあったのは、たとえば、自席から淫らそうに観察している「ラキーチン」が今期待し、想像しているにちがいないようなことではありませんでした。
魂の深い悲しみが、彼の心に生まれかねなかったいっさいの感覚を呑みつくしていたので、もしこの瞬間彼がはっきり意識しえたとすれば、今の自分があらゆる誘惑や挑発に対してきわめて堅固な鎧を着ていることに思い当ったはずです。
非常に難しい場面の描写だということはわかりますが、しかし作者が登場人物の内面に入り込んでこんなことまで書くのかと思いますし、さらに入り込んでいるだけではなく、さらにそこから別の状態を仮定までしているのは驚きます。
だが一方では、混濁して制御のきかぬ精神状態や、自分を打ちのめした悲しみにもかかわらず、やはり彼は心の内に生じたある新しい奇妙な感覚に、われ知らずおどろいていました。
この女が、この《恐ろしい》女が、今やこれまでのような恐怖、女性に関するあらゆる夢想が心にちらとうかぶたびに生じていた恐怖によって彼を怯えさせなかったばかりか、むしろ反対に、だれよりもこわかったこの女が、膝の上にのって抱きついているこの女が、今やふいにまったく別の、思いもかけぬ一種特別の感情を–彼女に対する度はずれに大きい純真な好奇の感情を、かき立てました。
しかも、それらすべてがもはや、何の不安も、ごく些細な今までの恐怖もともなっておらず、それがいちばん肝心な点であり、思わず彼をおどろかせた点でした。
これは、頭の中で考えていたことが、現実に接して一瞬に壊れたということですね、作者は「心の内に生じたある新しい奇妙な感覚」と書いているのですが、確かにそんなことは、たまに経験することであり当たり前のことかもしれませんが、普通忘れているというか、全く意識していないことが多いですね。
レンガを一つずつ丁寧に積み重ねるようにして作り上げてきた自分の考えであっても、一瞬の経験によっていっぺんに崩れ去ることがあり、つまり経験しなければわからないことがあるということで、そのようなものとして自分を認識しておくべきだということかもしれません。
それは内部的に自己完結されていたものが外部との接触によって開かれたというこです。
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