「あたし、ラキートカには葱をあげたことがあるなんて威張ってみせたけど、あなたには自慢しない。あなたには別の目的で話すんだわ。これはただの寓話なの、でもとてもいい寓話よ。まだ子供のころにあたし、今うちで料理人をしているマトリョーナからきいたの。あのね、こういう話。『昔むかし、一人の根性曲がりの女がいて、死んだのね。そして死んだあと、一つの善行も残らなかったので、悪魔たちはその女をつかまえて、火の池に放りこんだんですって。その女の守護天使はじっと立って、何か神さまに報告できるような善行を思いだそうと考えているうちに、やっと思いだして、神さまにこう言ったのね。あの女は野菜畑で葱を一本ぬいて、乞食にやったことがありますって。すると神さまはこう答えたんだわ。それなら、その葱をとってきて、火の池にいる女にさしのべてやるがよい。それにつかまらせて、ひっぱるのだ。もし池から女を引きだせたら、天国に入れてやるがいいし、もし葱がちぎれたら、女は今いる場所にそのまま留まらせるのだ。天使は女のところに走って、葱をさしのべてやったのね。さ、女よ、これにつかまって、ぬけでるがいい。そして天使はそろそろとひっぱりはじめたの。ところがすっかり引きあげそうになったとき、池にいたほかの罪びとたちが、女が引き上げられているのを見て、いっしょに引きだしてもらおうと、みんなして女にしがみついたんですって。ところがその女は根性曲がりなんで、足で蹴落としにかかったんだわ。「わたしが引き上げてもらってるんだよ、あんたたちじゃないんだ。これはわたしの葱だ、あんたたちのじゃないよ」女がこう言い終ったとたん、葱はぷつんとちぎれてしまったの。そして女は火の池に落ちて、いまだに燃えつづけているのよ。天使は泣きだして、立ち去ったんですって』これがその寓話よ、アリョーシャ、そらで覚えているわ、だってあたし自身が根性曲がりのその女なんですもの。ラキートカには、葱をあげたことがあるなんて威張ってみせたけど、あなたには別の言い方をするわ。あたしは一生を通じて、あとにも先にも(七字の上に傍点)その辺の葱を与えただけなの、あたしの善行はたったそれだけなのよ。だから、これからはあたしを褒めたりしないで、アリョーシャ、あたしをいい人間だなんておだてないでね。あたしは根性曲がりの、いけない女。褒めたりすれば、あたしに恥をかかせることになるわ。ああ、もうすっかり白状するわね。あのね、アリョーシャ、あたし、どうしてもあなたをここへおびき寄せたかったものだから、ラキートカにしつこく頼んで、もしあなたを連れてきたら二十五ルーブルあげるって約束したのよ。待って、ラキートカ、待ちなさいよ!」
この葱の話は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出しますね。
さっそくネットで調べて見ると、いろいろなことが書かれていました。
その中のひとつにいい説明があったので以下に紹介します。
「アメリカでオープンコートという哲学・宗教・科学の雑誌や出版物をだしている会社の主筆に、ポール・ケイラスという思想家・文筆家がいました。この人が『カルマ』という疑似インド物語を英語でかきました。この書はトルストイにもおおきな影響を与え、同じ年にトルストイはそれをロシア語訳したほどです。この中の一部に蜘蛛の糸に相当する教訓話が語られています。日本語訳は若き日の鈴木大拙がいたしました。芥川は横須賀の古本屋でその本をみて、それをもとに「蜘蛛の糸」を執筆しました。『カラマーゾフの兄弟』にも一本の葱の寓話が差し込まれていますが、ドストエフスキーは農民から聞いた民話だといっています。高年ポール・ケイラス自身も雑誌に、ドストエフスキーも同じ寓話を利用したことを書いています。このロシアの民話を、ケイラスも運営を手伝ったシカゴ世界宗教者会議で、ボルコンスキーが講演で紹介しました。この小話は、ヨーロッパ昔話のタイプ目録を検索すると、あちこちで語られていたことがわかります。世界の各地で好まれて語られていたものです。『ニルスのふしぎな旅』で有名な、レーゲリョーヴも『キリスト教伝説集』の中の一話にとりいれています。こうした世界的な視野をもってこの物語を眺めると、芥川の業績も、こうした世界各地の営みに呼応したひとつであることがわかります。だからばれるとかばれないとかの問題ではありません。」
以上です。
「グルーシェニカ」は自分は、その寓話の「根性曲がりの女」と同じで何ひとつ善行は行わなかったけれど、「あとにも先にも(七字の上に傍点)その辺の葱を与えただけなの、あたしの善行はたったそれだけなのよ。」と言っています。
この中の「その辺の葱」というのは、説明されていませんが何のことでしょうか。
「グルーシェニカ」のいいところは、「ラキートカには、葱をあげたことがあるなんて威張ってみせたけど」自分は一生を通じてあとにも先にもその辺の葱を与えただけと、葱にも優劣をつけて謙遜していることろです。
しかし、それにしても「ラキーチン」はこんなことに二十五ルーブルの賭けをしていたんですね。
またまた、評価が下がります。
彼女は足早にテーブルに歩みより、引出しを開けると、財布を取りだし、二十五ルーブル紙幣をぬきだしました。
「なんてばかな! ばかなことを言うなよ!」
面くらって「ラキーチン」が叫びました。
「受けとりなさいよ、ラキートカ。借り分だわ、まさか断わりはしないわね、自分で申し出たんだから」
こう言って彼に紙幣を放りつけました。
0 件のコメント:
コメントを投稿