2018年1月28日日曜日

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「アリョーシャ」は席を立って、「ラキーチン」に歩みよりました。

「ミーシャ」彼は言いました。

「怒らないでね。君はこの人に侮辱されたけど、怒らないでほしい。今の話をきいただろう? 人間の魂にそれほど多くのことを求めてはいけないよ、もっと寛容にならなければ・・・・」

「アリョーシャ」は抑えきれぬ心の衝動にかられて、こう口走りました。

自分の考えを述べずにはいられなかったので「ラキーチン」に話しかけたのでした。

この補足的な一文がなければ、「アリョーシャ」が「・・・・ふいにこらえきれなくなって、しまいまで言い終えずに、両手で顔を覆い、ソファの上の枕に身を投げだして、幼い子供のように泣きだし」た「グルーシェニカ」の方に行かずに、「ラキーチン」の方に歩み寄って言葉を発した彼の行動が不可解になりますね。

もし「ラキーチン」がいなければ、一人ででも叫んだにちがいありません。

しかし、「ラキーチン」が嘲るように見つめたので、「アリョーシャ」はふいに絶句しました。

「君はさっき長老という弾丸をこめてもらったんで、今度はそいつを俺に発射したってわけか、アリョーシャ、君は神の人だよ」

憎さげな笑いをうかべて、「ラキーチン」が言い放ちました。

「笑わないでくれ、ラキーチン、嘲笑うのはよせよ、故人のことなぞ言わないでほしいね。あの人はこの世のだれよりも偉い人だったんだから!」

声に涙を含ませて「アリョーシャ」は叫びました。

「僕は裁き手として君に話をするために立ったわけじゃないんだ。僕自身、裁かれる者の中で最低の人間だもの。この人にくらべたら、僕なぞ何者だろう? 僕がここへ来たのは、堕落してそれでも『かまうもんか、かまうもんか!』と言うためだったんだ。それも僕の浅はかさからだ。ところがこの人は、五年間の苦しみをへながら、だれかがはじめて訪ねてきて誠実な言葉を言ってくれたというだけで、すべてを赦し、すべてを忘れて、泣いているんだよ! この人を棄てた男が戻ってきて、よびかけると、この人はその男のすべてを赦してやり、喜んでその男のもとへ急ぐんだ、ナイフなんぞ持って行きっこないさ、持って行くもんか! そう、僕にはとてもできないことだ。君がそういう人間かどうか、僕にはわからないけどね、ミーシャ、僕はとてもだめだよ! 僕は今日、たった今その教訓を得たよ・・・・この人の愛は、僕らなんぞより、すっと高潔なんだよ・・・・君だってこれまでにこの人から、今話してくれたようなことをきいたことがあるかい? ないだろう、きいてないさ・・・・きいたことがあるんだったら、とうに何もかも理解してたはずだもの・・・・それに、おととい侮辱を受けたもう一人の人にだって、この人を赦してもらうよ! 話を知れば、赦してくれるとも・・・・そしてこの話は知ってもらわなけりゃ・・・・この人の魂はまだ、なだめられていないんだから、いたわってあげなければいけないよ・・・・」

息が切れたため、「アリョーシャ」は口をつぐみました。

普通人間は行動する前に逡巡することが多く、それは失敗しないための智恵のようなものだと思いますが、何かが咄嗟に起こった時に躊躇しないで反応する人間もいます、「グルーシェニカ」はまさにその後者であって「アリョーシャ」はそのことに人間の愛の根源を見出しています。


一般に知識人は行動より頭で考えるのですが、おそらくそれはダメで精神的なものがどんどん身体化していかなければならないというのが、知識人の課題でもあるでしょう。


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