百姓は坐ったまま、彼を眺め、へらへら笑っていました。
これがもしほかの場合なら、「ミーチャ」もことによると憎しみのあまり、このばか者をぶち殺していたかもしれませんが、今の彼は幼な子のように弱りきっていました。
彼は静かにベンチに歩みより、外套をとると、黙々と着こんで部屋を出ました。
もう一つの部屋に森番の姿は見当らず、だれもいませんでした。
彼は泊り賃と、蠟燭代と、迷惑をかけた分として、ポケットから小銭で五十カペイカつまみだし、テーブルの上に置きました。
五十カペイカ=500円です。
(690)で彼の手持ちの金額が9ルーブルと40カペイカ、つまり9,400円ほどと書きました、この中から行きの馬車代を支払ったわけですから、いくら残っているのでしょう。
小屋を出ると、周囲は見渡すかぎり森ばかりで、ほかには何もないことがわかりました。
小屋を出て右に行けばよいのか、左に行くべきなのか、それさえわからぬまま、当てずっぽうに歩き出しました。
昨夜は神父とここへ急ぐあまり、道など気にもとめなかったのです。
彼の心には、だれに対しても、「サムソーノフ」に対しても、恨みはありませんでした。
このへんが「ドミートリイ」の長所ですね。
彼は細い森の小道を、《ふいになったアイデア》をかかえて、ぼんやりと途方にくれ、どこに行くのかなどまるきり心を砕かずに歩いて行きました。
今の彼になら行きずりの子供でも勝てるはずでした。
それほど心も身体もふいに弱ってしまったのです。
それでも、なんとか森からぬけでることができました。
突然、見はるかすかなたまで、刈入れの終った裸の畑か打ちひらけました。
『なんという絶望だろう、まわりじゅう死の気配だけだ!』
絶望の極みですね。
なおも前へ前へ歩きつづけながら、彼はくりかえしました。
馬車で通りかかった人に彼は救われました。
この馬車が来なければどうなっていたでしょう、一日中さまよっていたかもしれませんね。
辻馬車がどこかの年とった商人をのせて田舎道を走ってきたのです。
馬車が追いついたとき、「ミーチャ」は道をたずねました。
その人たちもヴォローヴィヤ駅へ行くところだとわかりました。
交渉に入り、「ミーチャ」は相乗りさせてもらいました。
帰りの馬車代を充てたのですね。
三時間ほどで着きました。
まだ途中ですが、かなり長い時間乗っているのですね。
ヴォローヴィヤ駅で「ミーチャ」は、すぐに町までの駅馬車を頼み、ふいに我慢できぬくらい空腹なことに思い当りました。
馬をつないでいる間に、目玉焼きを作ってもらいました。
彼はたちまちそれを平らげ、大きなパンの塊と、有合せのソーセージを食べ、ウォトカを三杯飲みました。
腹ごしらえがすむと、元気がでて、心の中もまた明るくなりました。
彼は街道をとばし、馭者をせきたて、突然、これから今日の夕方までに《例のいまいましい金額》を作るための、新しい、今度こそ《確固たる》計画を作りあげました。
「考えただけで、考えただけで腹が立つな、あんな下らん三千ルーブルのおかげで、一人の人間の運命が破滅するなんて!」
彼はさげすむように叫びました。
「今日こそ決着をつけるんだ!」
もし、「グルーシェニカ」についての、また、彼女の身に何事か起りはせぬかという点についての、絶え間ない思いさえなかったら、おそらく彼はふたたびすっかり快活になっていたにちがいありません。
しかし、彼女をめぐる思いがたえず鋭いナイフのように、心の突き刺さるのでした。
やがてついに到着し、「ミーチャ」はその足ですぐ「グルーシェニカ」のところへとんで行きました。
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