検事はあまりにも大胆にぶつけたこの質問にやや眉をひそめましたが、「ネリュードフ」をさえぎろうとはしませんでした。
三千ルーブルについては尋問のはじめの(790)のところで「その問題にはいずれまた戻りますが」と「ネリュードフ」が言っていましたが、やっと戻ったというわけです。
「ええ、家には寄りませんでした」
見た目にはきわめて冷静に、しかし床を見つめたまま、「ミーチャ」は答えました。
この文章は「見た目にはきわめて冷静に、だが床を見つめたまま、ミーチャは答えた。」というのが実際の翻訳文なのですが、仮に「見た目にはきわめて冷静にミーチャは答えた。」と作者が書いているならどのような違いがあるのか、ふと気になりました、「床を見つめて云々」という書き方もありますが、「だが床を見つめたまま」を加えると明らかにその文章は固定された客観性から離れ、読者の想像の中に解き放たれます、作者がをそれを加えた創作の集中力には驚かされます。
「でしたら、あらためてもう一度おたずねしてもかまいませんか」
なにか機嫌をとるように、「ネリュードフ」がつづけました。
「いったいどこからいっぺんにそれほどの大金を手に入れることができたんですか、とにかくあなたごご自身の供述によると、その日の五時に・・・・」
「十ルーブルに困って、ペルホーチンにピストルを担保に入れたあと、三千ルーブルを借りにホフラコワ夫人を訪ねて、貸してもらえなかった云々と、何から何まで並べたてるんでしょうが」
「ミーチャ」がぴしりとさえぎりました。
「そう、そのとおりですよ、みなさん。僕は金に困っていた、ところがふいに何千という金が現われたんです、ねえ? どうですか、みなさん、あなた方は今お二人とも、金の出所を言わなかったらどうしうようと、びくびくしてますね。そのとおり、僕は言いませんよ、みなさん、いい勘でしたね、もう聞きだせやしませんよ」
突然「ミーチャ」は並々ならぬ決意をこめて歯切れよく言いました。
三千ルーブルの出所について彼は言わないと言っています、しかしそのお金がどうして必要になったかについては(796)で「それを言うのは、はっきりお断りします、みなさん! いいですか、言えないからでもなければ、その勇気がないからでもないし、それがまるきり取るに足らぬ下らないことだから、言うのを恐れているわけでもない。僕が言わないのは、それが僕の主義だからですよ。これは僕の私生活なんだ、僕の私生活に干渉するのは許しませんよ。それが僕の主義です。あなたの質問は事件に関係ないし、事件に関係ないことはすべて、僕の私生活ですからね! 僕は借金を返したかった、僕の名誉にかかわる借金を返そうと思ったんです、しかし相手の名は言えません」と言っています、つまり「ドミートリイ」は三千ルーブルの借金の相手も、その出所も言わないと言っているのです。
捜査官たちはちょっと沈黙しました。
「おわかりいただきたいんですがね、カラマーゾフさん、われわれにとってその点を知ることは、本質的に必要なんですよ」
「ネリュードフ」が低い声でもの柔らかに言いました。
「わかっています、でもやはり言いません」
検事も口をはさみ、ふたたび注意を喚起しました-尋問を受ける者は、そのほうが自分にとって有利と考えるなら、もちろん質問に対して黙秘することができるが、被疑者が黙秘によってどのような損失をみずから招くかも考えねばならないし、特にこんな重大な質問の場合にはなおさらのことであって、それは・・・・
「これこれこういうことになって、というわけでしょうが、みなさん! もうたくさんだ、そんなお説教なら前にもききましたよ!」
また「ミーチャ」がさえぎりました。
「これがどんなに重要な問題か、自分でもわかっています。ここがいちばん本質的な点だということもね。でも、やはり言いません」
「そりゃ、われわれはどうだっていいんですよ、これはわれわれの問題じゃなく、あなたの問題なんだし、みずみす損をするのはあなたご自身なんですから」
「ネリュードフ」が神経質に注意しました。
「いいですか、みなさん、冗談はさておき」
「ドミートリイ」は「ネリュードフ」の発言を痛快に「冗談」と言い切っています、彼の頭は尋問者たちの一歩も二歩も先に行っていますね。
「ミーチャ」は目を上げて、二人をしっかりと見つめました。
「この点で僕らが正面からぶつかり合うことは、僕もいちばん最初から予感していたんです。でも、最初、さっき供述をはじめたころには、すべてがずっと遠くの靄の中にあって、ぼやけていたものだから、僕はまず《相互の信頼》を提案したほど、気さくでいられたんですよ。今になると、そんな信頼なぞありえなかったことが、自分でもよくわかります、なぜって僕らはやはりこの呪わしい壁にぶつかったんですものね! そう、ついにぶつかったんです! もうだめですよ、おしまいです! もっとも、僕だってあなた方を責めはしません、あなた方にしても僕の話をそのまま信ずるわけにはいきませんものね、それは僕にもわかりますよ!」
彼は暗い顔で黙りました。
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