証言することに対するこの青年の露骨な嫌悪にもかかわらず、検事は永いことあれこれと質問しましたが、彼からはその夜の「ミーチャ」の、いわば《ロマンス》を構成する出来事の詳細を、逐一ききだしたにすぎませんでした。
「ミーチャ」は一度も「カルガーノフ」の話をさえぎりませんでした。
やっと青年は解放され、憤りを隠そうともせずに出て行きました。
ポーランド人たちも尋問されました。
この二人は例の小部屋で寝ようとしかけたものの、夜どおし寝つけずにいたのですが、官憲の到着とともに、自分たちも必ず召喚されるとさとって、急いで服を着て、身支度をととのえていたのでした。
多少の恐怖がないわけでもないのに、二人とも自意識たっぷりの態度であらわれました。
主立ったほう、つまり小柄なポーランド人は、退職の十二等官で、獣医としてシベリヤに勤務していたことがわかり、苗字は「ムッシャローウィチ」と言いました。
彼は「主立ったほう」なのですが、なぜか今まで名前が出てきませんでしたね、作者の何らかの意図があると思いますが特定できません。
「ヴルブレフスキー」のほうは、開業のダンチスト、つまり歯医者であることがわかりました。
二人とも部屋に入るやいなや、「ネリュードフ」が質問しているにもかかわらず、勝手がわからぬため、横の方に立っている署長の「マカーロフ」を、ここで指揮にあたっているいちばん偉い役人と思いこみ、一言ごとに《大佐殿》とよびながら、もっぱら署長に返事しはじました。
何度かそれをくりかえし、当の「マカーロフ」に注意されたあとで、やっと、「ネリュードフ」にだけ返事せねばならぬことを思いいたりました。
彼らはいくつかの言葉の発音を除けば、ロシア語をきわめて正確に、むしろ流暢すぎるくらいに話せることがわかりました。
「グルーシェニカ」に対する過去と現在の関係について、「ムッシャローウィチ」が傲慢な態度でむきになって弁じ立てようとしかけたため、「ミーチャ」はとたんにわれを忘れ、自分の前で《卑劣漢》にそんな口のきき方はさせておかぬと、どなりつけました。
「ムッシャローウィチ」はすぐに《卑劣漢》という言葉を気にとめ、調書に書きこんでくれるよう頼みました。
「ミーチャ」は怒りにかっとなりました。
「卑劣漢さ、卑劣漢だとも! 記録するがいいさ。それから、調書があろうとなかろうと、やっぱり卑劣漢とどなってやるから、これも記録してもらいましょうか!」
彼は叫びました。
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