「どうして二台目の馬車なんか要るんです?」
「ミーチャ」が口をはさみかけました。
「一台で行きましょうや、マヴリーキイ・マヴリーキエウィッチ。僕はあばれたり、君から逃げだしたりしないからさ、何のつもりで護衛なんか?」
「まだ教わっていないんでしたら、わたしに対する口のきき方を心得ていただきたいですね。君(一字の上に傍点)とはなんですか、君よばわりはやめてもらいましょう。それに、ご忠告なら、またの機会までとっておかれるんですな」
今までの恩を一瞬で忘れ去り手の平を返したような態度、これが世間というものですね。
まるで癇癪を爆発させるのを喜ぶかのように、突然「マヴリーキイ」がすごい剣幕で「ミーチャ」に言いました。
「ミーチャ」は口をつぐみました。
顔が真っ赤になりました。
一瞬後には、ふいにひどく寒気がしてきました。
雨はやんでいましたが、どんよりした空は一面の雲に包まれ、肌を刺す風がまともに顔に吹きつけました。
『悪寒でもするのかな』
肩をすぼめて、「ミーチャ」は思いました。
ついに「マヴリーキイ」も馬車に乗りこみ、広く場所をとってずしりと腰をおろし、まるで気にもとめぬように、自分の身体で「ミーチャ」をぎゅっとおしつけました。
話は違いますが、電車に座っているときもこんな無神経な人はいますね、いつも思うのですが本人は本当に無神経なのでしょうか、それともわかっていてやっているのでしょうか、そのへんがわかりません、両方の場合があると思うのですが、そのへんの相手の曖昧な気持ちも織り込み済みでそんな態度をとっているのだとしたらなおさら頭にきますね。
たしかに、彼は機嫌がわるかったのです。
自分の与えられた任務が、ひどく気に入らなかったのです。
なぜ彼はこの任務が気に入らなかったのでしょうか。
「さよなら、トリフォン!」
「ミーチャ」はふたたび叫びましたが、今度は好意から叫んだのではなく、憎しみのあまり、思わず叫んだことを自分でも感じました。
微妙な心理を描いていますね。
しかし、「トリフォン」は両手をうしろに組んで、まっすぐ「ミーチャ」を見つめたまま、傲然と立ち、きびしい怒ったような顔つきで、「ミーチャ」にも何一つ答えませんでした。
「さようなら、ドミートリイ・フョードロウィチ、さようなら!」
突然、どこかからふいに走りでてきた「カルガーノフ」の声がひびき渡りました。
大多数が冷ややかな目で「ドミートリイ」を見送る中で「カルガーノフ」のとったこの行動になんだか慰められます。
荷馬車のわきに駆けよると、彼は「ミーチャ」に片手をさしのべました。
帽子もかぶっていませんでした。
「ミーチャ」はやっとその手をつかんで握りしめることができました。
「さようなら、君の寛大さは決して忘れないよ!」
熱っぽく彼は叫びました。
だが、荷馬車が動きだし、二人の手は離れました。
鈴が鳴りだし、「ミーチャ」は連行されて行きました。
「カルガーノフ」は玄関に走りこみ、片隅に坐ると、うなだれ、両手で顔を覆って、泣きだしました。
いつまでもその姿勢で坐ったまま、泣いていました-まるで、すでに二十歳の青年ではなく、まだ幼い少年のような泣き方でした。
ああ、彼は「ミーチャ」の有罪をほぼ完全に信じていたのだ!
「いったいなんて人たちだろう、あんなことのあとで、まだ人間でいられるんだろうか!」
ほとんど絶望にひとしい、悲痛な嘆きに包まれて、彼はとりとめなく叫びました。
この瞬間の彼は、この世に生きてさえいたくありませんでした。
「生きるに値するだろうか、そんな値打ちがあるだろうか!」
まさに大人の世界の嫌らしさに対する純真な子供の嘆きですね、子供はだれもが大人になっていきますが、その中で失うものも多いのです、ただ彼は成長しても純真な心を残していくのではないでしょうか。
悲しみに打ちひしがれた青年は叫びました。
(下巻に続く)
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