五 イリューシャの病床で
われわれも知っている退役二等大尉「スネギリョフ」の家族が暮している、馴染み深い例の部屋は、このとき、つめかけた大勢の客のためにむんむんし、狭苦しい状態でした。
このときは数人の少年が「イリューシャ」のそばに坐っていました。
彼らもみな、「スムーロフ」と同様、「アリョーシャ」が中に入って「イリューシャ」と仲直りさせたことを否定したそうな様子でしたが、事実はそのとおりでした。
これは次の文章に書かれていいるように、「アリョーシャ」が自分を目立たせることなく、また少年たちの自尊心を保たせるように、うまく仲直りさせたということですね。
この場合、彼の手際のよさは、《べたべたした愛情》なしに、子供たちを次から次へと、さりげなく、さも偶然をよそおって、「イリューシャ」と和解させたことにありました。
それが「イリューシャ」の悩みに大きな安らぎをもたらしました。
かつての敵だった少年たちみんなの、ほとんどやさしいと言ってもよい友情や同情に接して、彼はすっかり感動しました。
ただ一人、「コーリャ・クラソートキン」の姿だけが足りず、このことが恐ろしい重荷となって心にのしかかっていました。
「イリューシャ」のつらい思い出の中で、いちばんつらいことがあるとすれば、たった一人の親友であり味方であった「コーリャ」に、あのときナイフをかざしてとびかかった、あの一件にほかなりませんでした。
利口な少年の「スムーロフ」も、そう思いました(この子は真っ先にイリューシャと仲直りしに来たのである)。
ここで作者は「スムーロフ」のことをわざわざ「利口な少年」と書いています。
しかし、《ある用件で》「アリョーシャ」が訪ねたいと言っていることを、「スムーロフ」が遠まわしに伝えると、当の「コーリャ」は言下にきっぱりと来訪を断ったうえ、どう振舞えばよいかは自分で承知しているし、だれの忠告も求めてはいない、また病人を見舞いに行くのなら、《自分なりの計算》があるから、いつ行くかは自分が承知していると、「スムーロフ」に頼んでただちに「アリョーシャ」に伝えさせました。
それがこの日曜の二週間ほど前のことでした。
「アリョーシャ」が、最初の心づもりのように、自分から彼を訪ねなかったのは、そのためです。
なぜか、このような文章もいままでと違って、伏線の前後関係の構成が雑になってきているように思います、それはたいしたことではありませんが、少しひっかかりました。
もっとも、少し待ちはしたものの、それでも「アリョーシャ」はもう一度、そしてさらに一度、「スムーロフ」を「コーリャ」のところに行かせました。
しかし、二度とも「コーリャ」は、今度はもうきわめて苛立たしげな、にべもない断りの返事をよこし、もし「アリョーシャ」が勝手に迎えにきたりしたら、その腹癒せとして絶対に「イリューシャ」のところには行かないし、これ以上しつこくしないでほしいと、言伝てをよこしました。
当の「スムーロフ」さえ、ぎりぎりの前の日まで、この朝「コーリャ」が「イリューシャ」のところへ行く決心をしたことを知りませんでしたし、つい前日の晩、「スムーロフ」と別れしなに、「コーリャ」が突然、明日の朝いっしょに「スネギリョフ」家に行くから、自宅で待っていてくれ、ただしさりげなく訪ねたいから、自分が行くことはだれにも言わないようにと、ぶっきらぼうに言い渡したのでした。
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