「スムーロフ」は言われたとおりにしました。
行方の知れなくなった「ジューチカ」を彼が連れてくるにちがいないという空想が、「スムーロフ」の心に生れたのは、一度「コーリャ」がちらと洩らした、『ジューチカが生きてさえいるなら、犬一匹探しだせないなんて、揃いも揃って間抜けばかりだ』という言葉が根拠になっていました。
「スムーロフ」が折を見はからって、犬をめぐる自分の推測をおそるおそる「コーリャ」に仄めかしたところ、相手はふいにひどく怒りました。
「ペレズヴォンがいるのに、よその犬を町じゅう探しまわるほど、僕が間抜けだっていうのか? それに、ピンを呑みこんじまった犬が、そのまま生きているなんて、夢みたいなことが考えられるかい? べたべたした愛情だね、それ以外の何物でもないよ!」
このへんの「コーリャ」の心理描写は丁寧ですね。
一方、「イリューシャ」は、もう二週間ほど、部屋隅の聖像わきにある自分のベッドから、ほとんど離れたことがありませんでした。
学校へは、「アリョーシャ」と出会って指に噛みついた、あの日以来行っていませんでした。
もっとも、あの日から発病したのですが、それでもひと月ほどはまだ、ときおりベッドから起きだして、たまに部屋の中や玄関をどうにか歩くことができました。
「イリューシャ」はあの投石の日から発病したとのことですが、これは重大なことです、病名は何でしょうか、精神的ショックが原因で発病したのですね。
やがて、すっかり衰弱し、そのため父の手を借りなければ動けなくなりました。
父親は病気を心配して、酒までふっつりとやめ、息子が死にはせぬかという恐怖に半狂乱になり、よく、手をとって部屋の中を歩かせたり、またベッドに寝かせつけてやったりしたあとなどは特に、ふいに玄関の暗い片隅に走りでて、壁に額を押しあて、泣き声が「イリューシャ」にきこえぬよう、声を殺しながら、身をふるわせてむせび泣くのでした。
部屋に戻ると、たいてい何かで大事な息子の気をまぎらせて慰めにかかり、童話やこっけいな一口話をしたり、外で出会ったいろいろなこっけいな人の真似をしたり、はては動物の真似をして、どんなこっけいな吠え方や鳴き方をするかを演じてみせたりしました。
しかし「イリューシャ」は、父親が百面相をしたり、道化を演じたりするのを、とてもきらっていました。
不愉快そうな様子は努めて見せぬようにしてはいたものの、少年は、父が社会で虐げられていることを心の痛みとともに意識し、《へちま》や、《あの恐ろしい一日》のことを、いつもしつこく思いだすのでした。
足なえの、もの静かなおとなしい娘「ニーノチカ」も、父が百面相をするのはきらいでしたが(もう一人の姉ワルワーラに関して言えば、彼女はもうだいぶ前にペテルブルグへ講義をききに発って行った)、その代り、半ば気のふれたかあちゃん(五字の上に傍点)は、夫がよく何かの物真似をしたり、何かこっけいなしぐさを演じたりしはじめると、たいそうおもしろがり、心のそこから笑い声をあげました。
もう一人の姉「ワルワーラ」については、(478)で「・・・・利口すぎるくらいですが、まだ女学生で、ネワ河のほとりでロシア女性の権利を見つけだすんだとか申して、もう一度ペテルブルグへ行きたがっております・・・・」とありましたが、彼女は実際にペテルブルグへ講義を聞きに行ったのですね。
彼女を慰めるにはこれしかなく、それ以外のときはいつも彼女は、今では世間のみんなに忘れられてしまったとか、だれも自分を尊敬してくれないとか、みんなが自分を侮辱するなどと、ひっきりなしに愚痴をこばして、泣いていました。
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