2018年8月27日月曜日

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しかし、ここ数日来、彼女もふいにすっかり変ったみたいでした。

しばしば片隅の「イリューシャ」を見つめて、考えこむようになったのです。

前よりずっと無口になり、おとなしくなって、泣くことがあるとしても、きこえぬように静かに泣いていました。

二等大尉は妻のこの変化に気づいて、悲しくいぶかしみました。

「悲しくいぶかしみました」とはあまり聞いたことのない表現です、「いぶかしむ」とは不審に思うということですね、つまり妻はこのことについては何かわかっているのではないかという疑問が生じたのでしょう。

子供たちの見舞いは最初彼女の気に入らず、怒らせるだけでしたが、やがて子供たちの快活な大声や話が、彼女の気をまぎらせるようになり、しまいにはすっかり気に入ったため、もし子供たちが来るのをやめたりしたら、彼女はひどくふさぎこむにちがいないほどになりました。

子供たちが何か話したり、遊戯をはじめたりすると、彼女は声をあげて笑い、拍手するのでした。

子供たちのだれかをよびよせて、接吻してやることもありました。

「スムーロフ」少年は特にお気に入りでした。

二等大尉はと言えば、「イリューシャ」を楽しませにやってくる子供たちの姿は、そもそものはじめから感激に近い喜びと、これで「イリューシャ」も悲しがるのをやめ、ことによるとそのおかげで回復が早まるかもしれぬという希望とで、彼の心を充たしました。

「イリューシャ」の病状に対する恐怖にもかかわらず、彼はごく最近まで、わが子がふいに快方に向かうことを、片時も疑っていませんでした。

彼は小さな客たちをうやうやしく迎え、まわりをうろうろして、精いっぱいサービスし、肩車でもしかねない勢いだったし、本当に肩車をしてやりかけたのですが、そんな遊びが「イリューシャ」の気に入らなかったため、あきらめました。

子供たちのために、ボンボンだの、しょうが入りパンケーキだの、くるみだのを買ってやり、お茶を入れたり、サンドイッチを作ったりしてやりました。

断っておかねばなりませんが、このところずっと、金には不自由しなかったのです。

「カテリーナ」からのあのときの二百ルーブルを、彼はずばり「アリョーシャ」の予言どおり、受けとりました。

(490)で「アリョーシャ」は「・・・・ところが今あの人は《自滅行為をした》と承知してはいても、ひどく誇りにみちて、意気揚々と帰っていったんですよ。とすれば、遅くも明日あの人にこの二百ルーブルを受けとらせるくらい、やさしいことはないわけです、なぜってあの人は自分の潔癖さを立派に示したんですからね、お金をたたきつけて踏みにじったんですもの。踏みにじっているときには、僕が明日また届けにいくなんてことは、わかるはずありませんしね。ところが一方では、このお金は咽喉から手の出るほど必要なんです。たとえ今誇りにみちていたにせよ、やはり今日にもあの人は、なんという援助をふいにしてしまったんだと、考えるようになるでしょうよ。夜になればもっと強くそう思い、夢にまで見て、明日の朝までにはおそらく、僕のところへ駆けつけて赦しを乞いかねぬ心境になるでしょう。そこへ僕が現れるという寸法です。『あなたは誇りにみちた方です、あなたは立派にそれを証明なさったのですから、今度は気持ちよく受けとって、わたしたちを赦してください』こう言えばあの人はきっと受けとりますとも!」と言っていました。

その後「カテリーナ」は、家庭の状況や「イリューシャ」の病気についてさらにくわしく知ると、みずから住居を訪ね、家族みんなと知合いになり、半ば気のふれた二等大尉夫人さえも魅了してしまいました。

このような慈善的行動はさすがに「カテリーナ」らしいのですが、貧しい人はたくさんいると思いますが、なぜこの家を救済しようとするのでしょうか、それは婚約者の「ドミートリイ」が関係しているのが理由だと思います。

それ以来、彼女は惜しみなく金を与えたし、当の二等大尉も、息子が死にはせぬかと考えると恐怖に押しひしがれて、かつての自尊心を忘れ、おとなしく施しを受けとりました。

お金を受け取る二等大尉の心情をここでちゃんと説明しています。

この間ずっと、「カテリーナ」の招きで、「ヘルツェンシトゥーベ」博士がいつも正確に一日おきに病人を往診していましたが、来診の効目もほとんどなく、やたらに薬を押しつけるばかりでした。

「ヘルツェンシトゥーベ」博士はどうみてもヤブ医者のようですね。


だが、その代り、この日、つまりこの日曜の朝、二等大尉の家では、モスクワからやってきた、モスクワでは名医と見なされている、さる新しい博士の来診を待ち受けていました。


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