2018年8月30日木曜日

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「ええ、そう!」

息をあえがせながら、「イリューシャ」が長いささやきで答えました。

「黒マスクだから、つまり猛犬だよ、鎖につないどく犬だな」

まるで問題はすべてこの子犬と黒マスクででもあるかのように、「コーリャ」が重々しい、しっかりした口調で感想を述べました。

しかし、いちばんの問題は、いまだに彼が《小さな子》みたいに泣きだしたりせぬよう、精いっぱい感情を抑えようと努めながら、どうにも抑えきれぬことでした。

「大きくなったら、鎖でつないどかなけりゃね。僕は知ってるんだ」

「すごく大きくなるんだよ!」

少年の群れの中から一人が叫びました。

「きまってるさ、マスチフだもの。こんなに大きくなるよ、子牛くらいに」

二等大尉がとんできました。

「わざわざそういうのを見つけてきたんですから。いちばん獰猛なやつをですな。この両親もすごく大きくて、すごく獰猛で、背丈が床からこれくらいもありましょうか・・・・さ、お掛けください、このイリューシャのベッドにでも。さもなければこちらのベンチに。さ、さ、どうぞ、大事なお客さん、待ちに待ったお客さんですから・・・・カラマーゾフさんとごいっしょにいらしたんですか?」

繰り返しますが二等大尉はなぜそんな獰猛で大きくなるような犬を買ってきたんでしょうか、今この瞬間に「イリューシャ」を喜ばせることだけを考えて将来のことなど考えていませんね。

「コーリャ」は「イリューシャ」のベッドの裾に腰をおろしました。

おそらく、ここへくる途中、どんな話題からくだけた会話をはじめるか、準備してきたのだろうが、今や完全にその糸口を見失っていました。

「いいえ・・・・僕はペレズヴォンを連れてきたんです・・・・僕は今、ペレズヴォンという犬を飼ってるんですよ。スラブ的な名前でしょう。向うに待機してますから、僕が呼び子を吹けば、とびこんできます。僕も犬を連れてきたんだ」

「スラブ的」ということがどういうことなのか分かりませんでしたので、調べてみました、「スラブ主義」という項目に「スラボフィル,スラブ派 slavyanofilyとも呼ばれる。 1830~70年代にロシアのインテリゲンチアの一部でもてはやされた宗教的国粋主義的思潮。ヘーゲル哲学,特にその宗教的観念論的傾向を継承しつつ,またシェリング哲学に基づいてロシアの国民性の本質を探求し,それをピョートル1世以前の古き「聖なるロシア」に求めた。最初モスクワの文学サークルで形成され,40年代から西欧派 (ザーパドニキ) と激しい論争を展開した。代表者にキレーエフスキー兄弟,A.S.ホミャコフ,アクサーコフ兄弟,Y.F.サマーリンらがいる。彼らは『モスクワ人』誌によって,ロシアには西ヨーロッパ資本主義の害毒を免れうる独特な発展の道があると主張し,真のメシアニズムを伝えるギリシア正教と古来の農村共同体慣行の犠牲的精神を保存することを説いた。しかし,ロシアにおける資本主義の発達の必然性およびその進歩的役割に背を向けることになったので,次第に反動性を強め,ついには認識手段としての合理性をも拒否する神秘的傾向を強めるようになった。」とありました。

ふいに彼は「イリューシャ」をふりかえりました。

「なあ、爺さん、ジューチカをおぼえてるかい?」

突然彼はこんな質問で「イリューシャ」にすごいパンチを浴びせました。

なかなか「コーリャ」はやり手ですね、みんなの気持ちの裏をかいています。

「イリューシャ」の顔がゆがみました。

彼は苦痛の色をうかべて「コーリャ」を見ました。

戸口に立っていた「アリョーシャ」は眉をひそめ、「ジューチカ」の話はせぬようにと、ひそかに「コーリャ」に合図しかけましたが、相手は気づきませんでした。

あるいは気づこうとしなかったのです。

「どこにいるの・・・・ジューチカは?」

張り裂けるような声で、「イリューシャ」がたずねました。

「おい、君、君のジューチカなんか、ふん、だ! 君のジューチカはどこかへ行っちまったじゃないか!」


「イリューシャ」は黙りこみましたが、また食い入るようにまじまじと「コーリャ」を見つめました。



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