彼はつとその場を離れ、ドアを開けるなり、足早に部屋に入って行きました。
「ペレズヴォン」がそのあとについて走りました。
医者は「アリョーシャ」を見つめたまま、呆然としたように、さらに五秒ほど立ちつくしていましたが、やがてふいに唾を吐きすて、「なんてやつだ、まったく、なんてやつだ!」と大声でくりかえしながら、急いで馬車に向かいました。
二等大尉がとんで行って、馬車に乗るのを助けました。
「アリョーシャ」は「コーリャ」のあとを追って部屋に入りました。
相手はもう「イリューシャ」のベッドのわきに立っていました。
「イリューシャ」はその手を握り、父親をよんでいました。
しばらくして二等大尉も戻ってきました。
「パパ、パパ、ここへ来て・・・・僕たち・・・・」
「イリューシャ」が極度に興奮してもつれる舌で言いかけましたが、どうやらあとをつづける気力がないらしく、いきなり痩せ細った両手を前に投げて、「コーリャ」と父の二人を精いっぱいの力でぎゅっといっぺんに抱きかかえ、二人を一つの輪の中にかかえこんで、自分も顔をおしつけました。
二等大尉は突然、声を殺した嗚咽に全身をふるわせはじめ、「コーリャ」も唇と下顎をふるわせていました。
「パパ、パパ! パパがかわいそうだ、パパ!」
「イリューシャ」が悲痛に呻きました。
「イリューシャ・・・坊や・・・・先生が言ってたぞ・・・・快くなるって・・・・みんな幸せになるって・・・・先生が・・・・」
二等大尉が言いかけました。
「ああ、パパ! 僕知ってるよ、新しいお医者さんが僕のことを何て言ってたか・・・・僕見たんだもの!」
世の中にはこんな無神経な医者がたくさんいて多くの人がそのために傷ついていますと言いたいところですが、今は教育のおかげなのか、そういうことは少なくなっていると思います、しかし、相手の心を感じない医者の所作は患者の方ですぐに感じとりますので同じことです。
「イリューシャ」は叫ぶと、また力の限りぎゅっと二人を抱きよせ、父の肩に顔を埋めました。
「パパ、泣かないでよ・・・・僕が死んだら、ほかのいい子をもらってね・・・・みんなの中から自分でいい子を選んで、イリューシャって名前をつけて、僕の代りにかわいがってね・・・・」
「よさないか、爺さん、快くなるって!」
まるで怒ったみたいに、突然「コーリャ」が叫びました。
「僕のことを、パパ、僕のことを決して忘れないでね」
「イリューシャ」がつづけました。
「僕のお墓におまいりして・・・・あのね、パパ、よくパパといっしょに散歩に行った、あの大きな石のわきに僕を埋めてね。そして夕方になったら、クラソートキンといっしょに、おまいりに来て・・・・ペレズヴォンも・・・・僕待ってるよ・・・・パパ、パパ!」
声がとぎれ、三人は抱き合ったまま、もはや黙っていました。
「ニーノチカ」も肘掛椅子でひっそり泣いていましたし、みんなが泣いているのを見ると、突然、かあちゃんも涙にむせびはじめました。
「イリューシェチカ! イリューシェチカ!」
彼女は叫びました。
「コーリャ」が突然「イリューシャ」の腕からすりぬけました。
「さよなら、爺さん、お母さんが昼ご飯に待ってるからね」
彼は早口に言いました。
「お母さんに断わってこなくて、残念だよ! 心配させちゃうからな・・・・でも、昼ご飯をすませたら、すぐに来るよ。一日じゅう、一晩じゅうここにいて、いろんな話をしてあげる、いろいろ話があるんだ! ペレズヴォンも連れてくるさ。でも今は連れて帰るよ、僕がいないと鳴きはじめて、君の邪魔になるからね。じゃ、あとでまた!」
この辺の「コーリャ」の言動の描写はリアリティがありますね。
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