2018年10月20日土曜日

933

「ふん、そんなやつはどうだっていいさ、俺も知らないんだから」

「ミーチャ」が毒づきました。

「どこかの卑劣漢だろう、きっと。どいつもこいつも卑劣漢ばかりさ。しかし、ラキーチンなら、すりぬけるだろうよ。ラキーチンはどんな隙間でもくぐりぬけるからな。あいつもやっぱりベルナールだよ。ふん、ベルナールどもめ! やけにたくさん増えやがって!」

(932)のベルナールがまたでました、「クロード・ベルナール(訳注 フランスの生理学者。実験生理学を確立した。霊魂不滅を信ずるドミートリイには、ベルナールの唯物論が容認できなかったのである)」と書かれていた人物ですね、「ラキーチンはどんな隙間でもくぐりぬけるからな。」というのは、唯物論の隙間ということだと思いますが、具体的にはわかりませんが、なんとなくイメージ的にはわかるような気がします。

「いったいどうしたんです?」

「アリョーシャ」はしつこくたずねました。

「あいつは俺のことや、俺の事件のことで評論を書いて、それによって文壇に打ってでるつもりなのさ、その下心で面会に来るんだよ、自分で言ったもの。何か傾向的なものを書くつもりなんだ。『彼は殺さずにはいられなかった。環境にむしばまれていたのである』とか何とか、説明してくれたよ。社会主義の匂いをつけるんだとさ。ふん、勝手にしてくれ、匂いをつけたきゃ、つけるがいいや、俺にはどうだっていいんだから。あいつはイワンをきらいで、憎んでいるし、お前も気に入られていないようだな。俺がたたきださずにいるのは、あいつが利口な男だからだよ。それにしても、ひどくうぬぼれてやがるぜ。たった今、俺はこう言ってやったところさ。『カラマーゾフ家の人間はな、卑劣漢じゃなく、哲学者だよ、なぜって本当のロシア人はみんな哲学者だからな。ところがお前は、学こそ積んだものの、哲学者じゃない。お前なんぞ土百姓さ』あいつはせせら笑ってたっけ、敵意まるだしでな。だから俺は言ってやった。思想については論議しないものだ、とラテン語でな。みごとな皮肉だろうが? 少なくとも、この俺も古典主義に足を踏み入れたってわけさ」

やはり「ラキーチン」の訪問の目的は取材ちうことですね、「ドミートリイ」はその手段として利用されているということです、何だか嫌らしいですね、しかし「ドミートリイ」は彼が知識をたくさん持っているといるということで話し相手として面会に応じています。

「ミーチャ」はだしぬけに声をあげて笑いだしました。

「なぜ、兄さんはもうだめなんです? たった今そう言ったでしょう?」

たしかに「ドミートリイ」は「俺はもうだめだよ」と言いましたね。

「アリョーシャ」はさえぎりました。

「なぜだめかって? ふむ! 実のところ・・・・大ざっぱに言うと、神さまが気の毒だからさ、そのためだよ!」

「神さまが気の毒ですって?」

「まあ考えてもみろよ。これは神経なんだよ。頭の中に、つまり、脳味噌のこの辺に神経があるのさ(ふん、畜生め!)・・・・そしてこんな尻尾が生えてるんだよ。その神経に尻尾があるのさ、で、それがふるえだすやいなや・・・・つまりさ、俺が何かをこんなふうに目でにらむと、そいつがふるえだすんだ、その尻尾がさ・・・・そして、それがふるえはじめると、映像が現われてくる。それもすぐにではなく、一瞬してから、一秒だってから、一つの場面のようなものが現われてくるんだ。いや、つまり場面というより、じれったいな、映像だな、つまり物とか出来事とかだよ。まったくいまいましいな。だから俺はそれを観察して、それから思索するのさ・・・・それというのも尻尾があるからで、別段俺に魂があるからでも、俺が神の姿に似ているからでもないんだ。そんなことは、ばかげてるからな。これはつい昨日ラキーチンが講釈してくれたことなんだけど、俺は火傷でもしたみたいな気持がしたよ。たいしたもんだぜ、アリョーシャ、この学問はよ! 新しい人間がやがて現われる、それは俺だってわかるさ・・・・それでもやっぱり神さまが気の毒なんだよ!」


この「ドミートリイ」の言っている「映像」云々の意味がわかりません、ただしわかる人にはわかるのだと思います、「ラキーチン」が講釈したというのは、尻尾があるとか言っていますので神経組織の形状のことなのでしょうか、彼は唯物論についてのいろいろな新しい知識を披露しているようですね、「神さまが気の毒」というのは面白い表現ですがこれは新しい唯物論の時代が「神さま」に取って代わられると「ドミートリイ」も思っているからでしょう。


0 件のコメント:

コメントを投稿