「そうですの」
なにか怒ったように彼女は歯切れよく言うと、ふいに赤くなりました。
「あなたはまだ、あたくしという人間をご存じないわ、アレクセイ・フョードロウィチ」
彼女は脅すように言いました。
「それにあたくしもまだ自分がわからないんです。もしかすると、明日の尋問のあとで、あなたはあたくしを踏みにじりたくなるかもしれませんわ」
「あなたは正直に証言なさるでしょうよ」
「アリョーシャ」は言いました。
「それだけが必要なんですから」
「女は不正直になることが多いものですわ」
彼女は歯がみして言いました。
「あたくし、つい一時間ほど前までは、あんな悪党にかかり合うのが恐ろしいと思っていたんです・・・・毒蛇にさわるみたいで・・・・でも、そうじゃないんです。あの人はあたくしにとって、いまだにやはり人間なんです! あの人が殺したのかしら? あの人が殺したの?」
すばやく「イワン」をかえりみて、彼女は突然ヒステリックに叫びました。
「アリョーシャ」は一瞬のうちに、この同じ質問を彼女がすでに「イワン」に、おそらく自分の来る一分ほど前に発したことや、しかもそれがはじめてではなく、百遍目の質問であり、口論に終ったことを、さとりました。
「あたし、スメルジャコフのところに自分で行ってみたわ・・・・あの男が父親殺しだなんて、あんたが言い張るんだもの、あんたがそう言ったのよ。あたしが信じたのはあんたの言葉だけよ!」
「グルーシェニカ」は(913)で「それにあのグリゴーリイがね、召使のグリゴーリイがドアは開いていたなんて言い張って、たしかに見たと意地になってるんで、とても話にならないわ。あたし、とんで行って、じかに話してみたんだけど、かえって悪態をつく始末ですもの!」と、「グリゴーリイ」に会っています、「カテリーナ」は「スメルジャコフ」に会ってどういう話をしたのでしょうか、彼女の言葉から考えると「ドミートリイ」が犯人だと言っているようです、そして「イワン」は「スメルジャコフ」が犯人だと言っているのですね。
なおも「イワン」をかえりみながら、彼女はつづけました。
「イワン」はむりをしたように、薄笑いをうかべました。
「アリョーシャ」はこの言葉づかいをきいて、ぎくりとしました。
それほどの間柄とは想像もできなかったのです。
二人はもう親しくなっているのですね。
「それにしても、もういいでしょうに」
「イワン」がぴしりと言いました。
「帰ります。明日来ますよ」
そして、すぐに背を向けて、部屋を出ると、まっすぐ階段に向いました。
「カテリーナ・イワーノヴナ」が突然なにか高飛車なしぐさで、「アリョーシャ」の両手をつかみました。
「あの人について行ってください! 追いかけてちょうだい! 片時もあの人を一人きりにしてはいけませんわ」
彼女は早口にささやきました。
「あの人、気が変になってるんです。気が変になってることを、ご存じないんですの? あの人、熱病なんです。神経性の熱病ですわ! お医者さまがあたくしにそうおっしゃいましたもの、さ、早くいらして、あとを追ってください・・・・」
「アリョーシャ」は跳ね起きて、「イワン」のあとを追いました。
兄はまだ五十歩と離れ去っていませんでした。
「何の用だ?」
「アリョーシャ」が追いかけてくるのに気づいて、彼はだしぬけにふりかえりました。
「俺は気違いだから、あとを追うようにって、彼女に言われたな。きかなくともわかるさ」
苛立たしげに彼は付け加えました。
「もちろんあの人は誤解してますけど、兄さんが病気だってことは、あの人の言うとおりですよ」
「アリョーシャ」は言いました。
「僕は今あそこで兄さんの顔を見ていたんです。ひどく病人らしい顔をしてますよ、ひどく、兄さん!」
「イワン」は立ちどまらずに歩きつづけました。
「アリョーシャ」はあとにつづきました。
「おい、アレクセイ、人間がどんなふうに発狂してゆくか、知ってるか?」
まったく突然に「イワン」が、もはやすっかり苛立たしさの消えた低い声でたずねました。
その声には思いがけなく、きわめて素朴な好奇心がひびいていました。
「いいえ、知りません。狂気にもいろいろな種類ががたくさんあると思うけど」
「じゃ、自分が発狂してゆくのを、観察できると思うか?」
「そんな場合には自分をはっきり観察することはできないと思いますね」
「アリョーシャ」はおどろいて答えました。
「イワン」は三十秒ほど黙りこみました。
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