2018年11月28日水曜日

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「その先はどうってことないですよ! 横になっていると、大旦那さまが叫んだような声がきこえたんです。グリゴーリイはその前に突然起きだして、出て行ったんですが、ふいにわめき声がして、あとはひっそり静かになって、真っ暗闇です。わたしは横になって、待ち受けていましたけど、胸がどきどきして、とても我慢できなくなりましてね。とうとう起きだして、出て行ったんです、見ると左手の、庭に面した窓が開いている、大旦那さまがまだ生きているのかどうか、様子を探りに、さらに一歩左に踏みだしたところ、大旦那さまがせかせか歩きまわって、溜息をついているのが、きこえるじゃありませんか。してみると、生きているってわけだ。えい、と思いましてね。窓に歩みよって、大旦那さまに声をかけたんです。『わたしでございます』すると、『来た、やつが来て、逃げて行きよった!』とおっしゃるんです。つまり、ドミートリイ・フョードロウィチが来たというわけです。『グリゴーリイが殺られた!』『どこです?』わたしが声をひそめてたずねると、『あそこの、隅の方だ』と大旦那さまも声をひそめて、指さすんです。わたしは『ちょっとお待ちになってください』と言って、庭の隅へ探しに行き、塀のわきに倒れているグリゴーリイにぶつかったんです。全身血まみれで、意識を失っていました。してみると、たしかにドミートリイ・フョードロウィチは来たのだ。とたんに、こんな思いが頭にうかんで、わたしはその場で何もかも一挙にけりをつけようと決心したんです。なぜって、グリゴーリイがたとえまだ生きているとしても、意識不明で倒れているのだから、今のうちなら何一つ気づくはずはありませんからね。たった一つの危険は、マルファがふいに目をさますことでした。その一瞬、わたしはそう感じたのですが、もう矢も盾もたまらぬ気持になって、息もつまるほどだったんです。わたしはまた大旦那さまの窓の下に駆け戻って、こう言いました。『あの方がここにいらしてます。アグラフェーナ・アレクサンドロヴナがいらして、戸を開けてくださるようおっしゃってます』すると大旦那さまは子供のように全身をびくりとさせて、『こことはどこだ? どこにいる?』と息を弾ませはしたものの、まだ信用なさらないんです。『あそこに立っておいでです、ドアを開けてください!』とわたしが言っても、窓からわたしを眺めて、半信半疑の様子で、ドアを開けるのを恐れていらっしゃるんです。これは俺をこわがっているんだな、とわたしは思いましてね。こっけいなことに、突然、例のグルーシェニカがいらしたという、窓枠をたたく合図を、旦那の目の前でやってみようという気になったんですよ。ところが、わたしの言葉は信用なさらなかったようなのに、わたしが合図のノックをしたとたん、すぐさまドアを開けに走ったじゃありませんか。ドアが開きました。私は中に入ろうとしかけたんですが、大旦那さまは立ちはだかって、ご自分の身体で通せんぼをしているんです。『あれはどこだ、どこにいる?』わたしを見つめて、ふるえているんですよ。いや、俺をこんなに恐れてるんじゃ、まずいな、と思いました。部屋に入れてもらえないんじゃないか、大声をたてやしないか、あるいはマルファが駆けつけるとか、何事か起りゃしないかと思うと、わたし自身も恐ろしさで足の力が萎えてしまいましてね。そのときはおぼえていませんが、きっと真っ青な顔で大旦那さまの前に立っていたことでしょうよ。わたしはささやきました。『ほら、あそこに、窓の下にいらしてます、ごらんにならなかったんですか?』『それじゃお前が連れてこい、連れてきてくれ』『でも、こわがってらっしゃるんです。叫び声に怯えて、茂みに隠れていらっっしゃるんです。行ってお部屋からご自分で声をかけてあげてくださいまし』大旦那さまは走って、窓のところに行くと、蠟燭を出窓に置いて、『グルーシェニカ、グルーシェニカ、そこにいるのかい?』と声をかけました。そう叫びながらも、窓から身を乗りだそうとはなさらず、わたしから離れようとしないんです。それというのも、ひどくわたしを恐れはじめていらしたので、その恐怖心から、わたしのそばを離れる勇気が出ないんですよ。わたしは窓に歩みよって、身体をずいと乗りだすと、『ほら、いらっしゃるじゃありませんか、茂みのところに。笑ってらっしゃいますよ、お見えにならないんですか?』と言いました。大旦那さまはふいにそれを信じて、ぶるぶるふるえだしました。なにしろ、ぞっこん参っておいででしたからね。そして、窓からずっと身を乗りだしたんです。そのとたん、わたしはテーブルの上にあった例の鋳物の文鎮を、おばえておいででしょう、あの一キロ以上もありそうなやつを、あれをひっつかんで、ふりかぶるなり、うしろから脳天めがけて打ちおろしました。悲鳴もあげませんでしたよ。ただ、ふいにがっくり崩れ落ちただけでした。わたしはさらに二度、三度と殴りつけました。三度目に、頭蓋骨を打ち砕いたのを感じましたっけ。大旦那さまは突然、身まみれの顔を上に向けて、仰向けにころがったんです。わたしは自分の身体に血がついていないか、返り血を浴びていないかを調べたあと、文鎮をぬぐって元のところに置き、聖像画のうしろへ行って、封筒から金をぬきとると、封筒は床に棄て、例のバラ色のリボンをそのわきに放りだしました。そして全身をふるわせながら、庭におりたんです。わたしはまっすぐ、あの洞のあるリンゴの木のところへ行きました。あの洞をご存じでしょう。わたしはだいぶ前からあれに目をつけていて、あの中にぼろ布と紙をしまっておいたんです。ずっと前から手筈をととのえておいたんですよ。札束を全部紙にくるんだあと、さらに布で包んで、奥深く突っこんでおきました。だから、この札束は二週間以上あそこに置かれていたんですよ。取りだしたのは、退院後の話です。わたしは自分のベッドに戻って、横になると、恐怖に包まれて考えました。『もしグリゴーリイが本当に殺されてしまったとすると、ひどくまずいことになりかねないぞ。しかし、まだこときれずに、息を吹き返してくれたら、もっけの幸いだ。なぜって、そうなりゃ、あの人がドミートリイ・フョードロウィチの来たことの証人になってくれるだろうし、つまり、あの方が殺して金を待ち去ったことになるからな』そこでわたしは一刻も早くマルファを起すために、不安ともどかしさから呻きだしたのです。婆さんはやっと起きだして、わたしのところへとんでこうようとしかけたのですが、ふいにグリゴーリイがいないのに気づいて、とびだして行きました。やがて庭で婆さんの悲鳴がきこえたんです。まあ、それから夜どおし例の騒ぎがつづいたんですが、わたしはすっかり安心していたんですよ」


この「スメルジャコフ」の発言はこの物語の謎を事細かに明かしています、今まであれやこれやと隠されていたことが、突然明らかになったことに私は驚いています、殺害の状況が詳らかにわかったじゃありませんか、そして「フョードル」が「スメルジャコフ」を恐れたのは、彼に殺されるということが動物的な勘でわかったのかもしれません、また「スメルジャコフ」の言葉より、合図のアクションで身体が動いたというのはありうることのような気がします、それにしても「スメルジャコフ」はあざといですね、この殺人は前から計画しており、「フョードル」もそれに気づいていたのかもしれません。


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