「ここにはありませんよ。ご心配なく、どこにあるか知ってますから。ほらね」
部屋の向う側にある「イワン」の化粧テーブルのわきで、まだきちんと畳んだまま使っていない、きれいなタオルを見つけて、「アリョーシャ」が言いました。
「イワン」は妙な顔をしてタオルを見つめました。
とたんに記憶が戻ったかのようでした。
「待てよ」
彼はソファから半身を起しました。
俺はさっき、一時間ほど前に、そのタオルをそこから取って、水で濡らしたんだぞ。頭に当てたあと、ここへ放りだしたんだ・・・・どうして乾いてるんだろう? ほかにタオルはないのに」
(980)に「イワンは片隅に行って、タオルをとり、言ったとおりに実行すると、濡れたタオルを頭にのせたまま部屋の中を行ったり来たりしはじめました。」とありましたね。
「このタオルを頭に当てたんですか?」
「アリョーシャ」がたずねました。
「そうさ、そして部屋の中を歩きまわっていたんだ、一時間前に・・・・なぜ蝋燭がこんなに燃えつきちまったのかな? 何時だ、今?」
「もうすぐ十二時です」
「そんな、そんなはずはない!」
突然「イワン」が叫びました。
「あれは夢じゃなかったんだ! あいつはたしかに来て、ここに座っていた、ほら、そのソファにさ。お前が窓をたたいたとき、俺はあいつにコップをぶつけてやったんだから・・・・ほら、このコップだよ・・・・待てよ、この前も俺は眠ってたっけな、でもこの夢は夢じゃないぞ。前にもこんなことがあったんだ。アリョーシャ、俺はこのごろよく夢を見るんだよ・・・・しかし、それは夢じゃなく、うつつなんだ。俺は歩いたり、話したり、見たりする・・・・でも眠っているんだ。しかし、あいつはそこに坐っていたんだからな、たしかにいたんだ、そのソファに・・・・あいつはひどくばかだぜ、アリョーシャ、ひどくばかだよ」
だしぬけに「イワン」は笑いだし、部屋の中を歩きはじめました。
「だれがばかなんです? だれのことを言ってるの、兄さん?」
「アリョーシャ」がまた悲しそうに言いました。
「悪魔さ! 悪魔がよく現れるようになったんだ。もう二度も来たよ。三度と言えるくらいさ。自分がただの悪魔でしかなく、轟音と閃光を放つ、翼を火傷した魔王(サタン)じゃないことを俺が怒っていると言って、からかいやがったんだ。しかし、あいつは魔王じゃないよ、嘘をついてやがるんだ。自分でそう名乗ってるだけさ。あいつはただの悪魔だ、やくざなチンピラ悪魔だよ。銭湯に通うんだとさ。あいつを裸にすると、きっと、尻尾が見つかるぜ。グレート・デンのみたいな、長い、すべすべした、七十センチくらいもある茶色の尻尾が・・・・アリョーシャ、すっかり凍えただろう、雪の中にいたんだもの。お茶を飲むか? どうだ? 冷めてるか? なんなら、支度させるぜ。こんな天候じゃ、犬だって外に放すわけにはいかないよ・・・・」
「サタン」とは、「ユダヤ教、キリスト教では神の敵対者、イスラム教では人間の敵対者とされる。
キリスト教神学においては、サタンは、かつては神に仕える御使いであったが堕天使となり、地獄の長となった悪魔の概念である。罪を犯して堕落する前のサタンは御使いであったが、神に反逆して『敵対者』としての悪魔に変化したとみなされている。キリスト教ではサタンは人格性を有する超自然的存在であると信じられているが、自由主義神学(リベラル)ではサタンが人格的存在であるとは必ずしも考えられていない」とのこと。
「魔王(サタン)」や「悪魔」については諸説あり複雑でもあってなかなか理解できません。
この物語を1866年の出来事だとすると、有名な「シューベルト」の「魔王」は1815年に作られ、「ゲーテ」の作詞は1782年くらいのものですので、ずいぶん前のことになりますね。
「アリョーシャ」は急いで洗面台に走って、タオルを濡らすと、また坐るように「イワン」を説き伏せ、濡れたタオルを頭にのせてやりました。
自分もならんで坐りました。
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