だれもが裁判の成行きに心を奪われ、大多数の男性は断然、犯人に厳罰を望んでいました。
もっとも法律家たちは別で、彼らにとって大切なのは事件の道徳的な側面ではなく、いわば現代的な法解釈の面だけでした。
有名な「フェチュコーウィチ」の到着が、みなを興奮させていました。
「フェチュコーウィチ」については、(912)で「アリョーシャ」は「あの三千ルーブルは、僕と、イワン兄さんと、カテリーナ・イワーノヴナの三人で出したんですが、モスクワの医者はあの人お一人で二千ルーブル出してよんでくれたんです。弁護士のフェチュコーウィチも、もっと多く取りたいところでしょうが、この事件はロシア全土に反響をよんで、どの新聞や雑誌でも書きたてているもんだから、フェチュコーウィチもむしろ名声のために弁護を承諾したんですよ、なにしろあまりにも有名な事件ですからね。僕は昨日会ってきました」と言っています。
この男の才能はいたるところに知れ渡っていましたし、それに世間を騒がせた刑事事件の弁護に彼が田舎に乗りこむのは、これがはじめてではありませんでした。
そして、彼が弁護に立ったあと、そういう事件は常にロシア全土に知れ渡り、末永く記憶されるものになっていました。
この町の検事や裁判長に関しても、いくつか噂話が流れていました。
検事が「フェチュコーウィチ」との対決にびくびくしているとか、この二人はすでにペテルブルブ時代、法曹界に入った最初からの宿敵であるとか、自分の才能が正当に評価されぬため、ペテルブルブ時代から常にだれかに侮辱されたように思ってきた自尊心の強い検事「イッポリート」は、カラマーゾフ事件で精神的に立ち直りかけ、ぱっとせぬ検事生活にこの事件で活を入れよう夢みてさえいるのですが、その彼も「フェチュコーウィチ」にだけは怯えているとか、取り沙汰されていました。
しかし、「フェチュコーウィチ」に対するおののきという判断は、あまり正しいとは言えませんでした。
わが検事は、危険に直面してしゅんとなるような性格ではなく、むしろ反対に、危険が増大するにつれて自尊心がますます強まり、勇気づく性質の人間でした。
概して、この検事があまりにも直情すぎ、病的なくらい感受性が強かったことは、指摘しておかねばなりません。
ある種の事件には、彼は全身全霊を打ちこみ、まるで自己の運命や価値全体がその事件の解決にかかっているかのように、その事件を追求するのでした。
司法界ではそれをいくらか笑いものにしていました。
なぜなら、この検事がロシア全体とまではとうていいかぬにせよ、この町の裁判所におけるつつましい地位から予想しうるよりは、ずっと有名になれたのも、まさしく彼のそういう性質によるものだったからです。
心理分析に対する彼の熱情は、特に物笑いの種でした。
しかし、わたしに言わせれば、みんなは誤解していたのであり、わが検事は人間としても、性格としても、多くの人が考えていたよりずっとまじめてあったような気がします。
しかし、この病気がちの男は結局、検事生活初期のそもそもの振りだしから、その後、一生を通じて、自己の真価を認めさせることができなかったのであります。
裁判長に関しては、彼が教養ある、人道的な、実務に精通した、きわめて現代的な思想の人間であったことしか言いえません。
彼はかなり自尊心が強いのでしたが、出世にはさほど心を砕きませんでした。
人生の最大の目的は、進歩的な人間になることでした。
それに、顔も広く、財産も持っていました。
あとでわかったことですが、彼はカラマーゾフ事件をかなり熱心に見ていましたが、それも一般的な意味においてでしかありませんでした。
彼の関心をひいたのは、こうした現象やその分類であり、わが国の社会的基盤の所産として、またロシア的要素の特徴的な現われとして、この現象をとらえる見方でした。
この事件の個人的な性格や、その悲劇に対して彼は、被告をはじめ各関係者たちの個性に対するのと同様、かなり無関心な、抽象的な態度をとっていましたが、ことによるとそれがむしろ当然だったかもしれません。
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