2018年12月29日土曜日

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二人の商人はもっともらしい顔つきこそしていましたが、なんとなく異様に黙りこみ、身動き一つしませんでした。

この描写は作者が、緊張している人はこのように不自然な態度をとることがあるということをよく知っているからでしょう、注目すべきはこのようなことを作中で書き込むという作品への集中力なのです。

そのうち一人は顎ひげを剃りこんで、ドイツ人のような服装をしており、もう一人の白い顎ひげをたくわえたほうは、何かのメダルを赤いリボンで首から下げていました。

町人や農民については語るまでもありません。

先に「土地の百姓と町人が六名」と書かれていましたが、ここでは順番が逆で「町人や農民」となっていますね。

わがスコトプリゴーニエフスク町の町人は、ほとんど農民と同じで、畑仕事さえしているのであります。

この町の名前は(918)で「スコトプリゴーニエフスク市(訳注 家畜を追いこむ町といった意味)」と書かれて以来二度目の登場です。

そのうち二人はやはりドイツ人のような服装をしており、おそらくそのためでしょうが、あとの四人より、見た目に薄汚なく見苦しく映りました。

この時代のロシアのドイツ感というものはこのようなものだったのですね。

そんわけで実際、早い話がこのわたしにしても、陪審員たちをつくづく眺めたとたん、『こんな連中がこういう事件の何を理解できるのだろうか?』という思いがうかんだものであります。

確かに、そのようなことは現代の日本の裁判員制度にも言えることですが、人間を裁くという最も重大なことですので、それなりの修養を積んだ人間でなければ物事の本質を見ることができないと思います(完璧主義ということではなく、少なくともベターであるということですが)、選挙人名簿からの無作為抽出というのは一見平等であるように見えますが間違っていると思います、ただこれは現代社会全般に言えることですが、何と言ったらいいか、適切な言葉がないのですが、(しかし、この適切な言葉がないということ自体を見越している狡猾さだけはある)事なかれ主義のようなことなのではないでしょうか。

それにもかかわらず、彼らの顔はなにか異様なほど威圧感のある、ほとんど不気味なばかりの印象を与え、きびしく、険しいものでした。

このような表現に作者の人間に関するするどい批判性があらわれています。

ついに裁判長が、退役九等官「フョードル・カラマーゾフ」殺害事件の審理に入る旨を宣言しました-そのときどういう表現をしたか、完全にはおぼえていません。

被告を連れてくるよう廷吏が命じられ、いよいよ「ミーチャ」が姿をあらわしました。

法廷内はひっそりと静まり、蠅の羽音さえきこえるほどでした。

ほかの人はいざ知らず、わたしには、「ミーチャ」の姿がきわめて好ましくない印象を与えました。

「わたし」は「ほかの人はいざ知らず」と書いてはいますが、「わたし」が思っていることはみんなも思っていることなのでしょう。

何よりも、彼は仕立ておろしの真新しいフロックを着こんで、ひどく伊達男気どりで入廷してきたのでした。

あとで知ったのですが、彼はこの日のためにわざわざ、自分の寸法書きの残っているモスクワの昔馴染みの仕立屋にフロックを注文したのでした。

彼は真新しい黒のキッドの手袋をはめ、しゃれたシャツを着ていました。

そして微動だにせず、まっすぐ正面を見つめたまま、歩幅七十センチほどもある例の大股で通りぬけ、きわめて落ちついた態度で自分の席に腰をおろしました。

同時にすぐ有名な弁護士「フェチュコーウィチ」も入廷し、なにか押し殺したどよめきのようなものが廷内を流れました。これは、細くて長い足と、度はずれに長い青白い指をした、痩せたひょろ長い男で、顔を綺麗に剃り、かなり短い髪をつつましく撫でつけ、ときおり嘲笑とも微笑ともつかぬ笑いに薄い唇をゆがめていました。

見たところ四十前後でした。

彼の目それ自体は小さくて表情にとぼしいものでしたが、珍しいほど両眼に間隔がくっついているので、やや長目の細い鼻の細い鼻梁だけでやっと隔てられているにひとしく、目がこんなでさえなかったら、その顔は感じのよいものだったにちがいありません。

一口に言うと、その容貌は何かびっくりするくらい鳥に似たところがありました。


彼は燕尾服に白ネクタイという服装でした。


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