「どうしてこの金があなたの手に入ったんです・・・・もしこれが例の金だとしたら、の話ですが?」
びっくりして裁判長が言いました。
「ゆうべ、犯人のスメルジャコフから預かったんです。あいつが首を吊る前に寄りましてね。親父を殺したのはあの男です。兄じゃありません。あの男が殺し、僕が殺しをそそのかしたんです・・・・親父の死を望まぬ人間なんかいませんでしたからね」
「イワン」としては正直な発言であり、すべてをひっくり返すような重大発言ではありますが、それをみんなに納得させるためには十分な説明が必要ですね。
「あなたは正気ですか、どうなんです?」
思わず裁判長は口走りました。
「正気にきまってるじゃありませんか・・・・卑劣にも正気なんです、あんたや、ここにいるあの・・・・豚どもとご同様にね!」
こんな発言がだめなんです、状況がわかっていないようですね。
突然、彼は傍聴席をふりかえりました。
「あいつらは親父を殺したくせに、びっくりしたふりをしてやがるんだ」
彼は憎さげな軽蔑を示して歯ぎしりしました。
「お互いにしらを切りやがって。嘘つきめ! だれだって親父の死を望んでいるんだ。毒蛇が互いに食い合いをしてるだけさ・・・・親父殺しがなかったら、あいつらはみんな腹を立てて、ご機嫌斜めで家へ帰るこったろうよ・・・・とんだ見世物さ! 『パンと見世物!』か。もっとも、俺だって立派なもんだ! 水はありませんか、飲ませてください、おねがいだから!」
「パンと見世物」というのは、「パンとサーカス」とも言われ、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう。愚民政策の例えとしてしばしば用いられる名言であり警句である。」とのこと。
彼はふいに頭をかかえました。
廷吏がすぐにそばに歩みよりました。
「アリョーシャ」は突然立ちあがって、叫びました。
「兄は病気なんです、兄の話を信じないでください、兄は譫妄症なんです!」
「カテリーナ・イワーノヴナ」ははじかれたように席を立ったものの、恐怖に身じろぎもせず、「イワン」を見つめていました。
「ミーチャ」は立ちあがり、なにか奇妙にゆがんだ微笑をうかべて、むさぼるように弟を見つめ、耳を傾けていました。
「安心してください。僕は気違いじゃない、人殺しにすぎないんだ!」
「イワン」がふたたび言いはじめました。
「人殺しに雄弁を求めてもだめですよ・・・・」
突然何のためか、こう付け加えると、彼はゆがんだ笑いをうかべました。
検事は傍目にもわかるほどうろたえて、裁判長の方に身を乗りだしました。
裁判官たちがあわただしくささやき合いました。
「フェチュコーウィチ」は耳をそばだてて、きき入っていました。
裁判長は突然われに返ったかのようでした。
「証人、あなたの言葉は不可解で、この席では許されぬものです。できるならば気を鎮めて、もし・・・・本当に言うべきことがあるのなら、話してください。そういう証言を、いったい何によって裏付けられるのですか・・・・かりに、うわごとを言っているのでないとしたら?」
私はずっと思っているのですが、この裁判長をはじめ検事、弁護士等は理性的で常識的な人物ですね。
「証人がいないのが、問題でしてね。あの犬畜生のスメルジャコフだって、まさかあの世から証言を送ってはよこさないだろうし・・・・封筒に入れてね。あなた方はいつも封筒が必要なんだから。一つありゃ十分でしょうに。僕には証人はいないんです・・・・ただ、あいつだけは別だけど」
彼は考えこむように苦笑しました。
「だれです、その証人とは?」
「尻尾のあるやつですよ、裁判長閣下、これじゃ型破りでしょうな! 悪魔は存在しないんだから! 気にしないでください、やくざなチンピラの悪魔なんです」
ふいに笑うのをやめ、秘密めかしく、彼は言い添えました。
「あいつはきっと、この法廷のどこかにいますよ。ほら、その証拠物件のテーブルの下に。あいつの居場所はその辺にきまってますよ。いいですか、僕の話をきいてください。僕はあいつに、黙ってるのはいやだと言ったんです。そしたらあいつは地質の変動のことなんぞ持ちだして・・・・ばかばかしい! さあ、その無頼漢を釈放してやってください・・・・讃歌なんぞうたいはじめて。そうすりゃ、気が楽になるからですよ! 酔いどれの悪党が『ワーニカはピーテルに行っちゃった』とわめき立てるのと同じことなんだ。僕は二秒間の喜びのためになら千兆キロの千兆倍だって捧げますよ。あんた方は、僕って人間を知らないんだ! ああ、何もかも実に愚劣だ! さあ、兄の代りに僕を逮捕してください! 僕は何かをしに来たはずだな・・・・どうして、なぜ、何もかもこんなに愚劣なんだろう・・・・」
そして彼はまた、ゆっくりと、考えこむように、法廷内を見まわしはじめました。
しかし、すべてがもうざわめきはじめていました。
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