「アリョーシャ」は自席から兄のところへとんで行こうとしかけましたが、廷吏がすでに「イワン」の腕をつかんでいました。
「この上何をしようってんだ?」
「イワン」はひたと廷吏の顔を見据えて叫ぶと、いきなり相手の肩をつかんで、すごい剣幕で床にたたきつけました。
しかし、もはや警備が駆けつけ、彼をとり押さえました。
と、今度は彼は気違いじみた叫び声を張りあげだしました。
そして、連れだされる間ずっと、叫んだり、何やらとりとめのないことをわめいたりしていました。
病気ならば仕方がないというふうになりますが、「イワン」はもう少し頑張れなかったのでしょうか、彼の持つ情報だけが「ドミートリイ」の無罪を証明できるかもしれず、彼がうまく説明すればなんとかなったのではないかと思いますが、このままでは「イワン」の社会的な信用もなくなりますね。
大混乱が生じました。
わたしはすべてを順序正しく思いだせません。
わたし自身、興奮してしまい、よく観察できなかったのです。
わたしが知っているのは、のちに、みながもう落ちつきを取り戻し、だれもが事態をさとったときになって、廷吏がひどく叱られたことだけです。
もっとも廷吏が裁判長に行ったしごくもっともな釈明によると、証人はずっと正常でしたし、一時間ほど前に少し気分がわるくなって医師に見てもらいはしましたが、入廷するまで筋道の通った話をしていたので、何一つ予測できなかったばかりか、むしろ反対に、証人自身がぜひ証言したいと望んで、強く言い張った、ということでした。
ところが、みなが多少なりと落ちついて、われに返る前に、今の騒ぎにすぐつづいて、もう一つの騒ぎが起りました。
「カテリーナ・イワーノヴナ」がヒステリーを起したのです。
彼女は金切り声の悲鳴をあげて泣きだしましたが、退廷したがらずに身をもがき、連れださないでほしいと哀願して、突然、裁判長に叫びました。
「あたくし、もう一つ証言しなければなりません、今すぐ・・・・今すぐに! ここに手紙があります・・・・受けとってください、早く読んでください、早く! その無頼漢の手紙です、そこにいるその無頼漢の!」
彼女は「ミーチャ」を指さしました。
「イワン」に負けず劣らず「カテリーナ」の個性も強いですね、しかも彼女は「ドミートリイ」のことを「無頼漢」と公衆の面前で言っています。
「その男が父親を殺したんです。今すぐわかりますわ。父親を殺すと、あたくしに手紙をよこしたんです! あの人は病気なんです、病人なんです、譫妄症なんです! あの人が熱病にかかっていることも、もう三日も前からわかっていました!」
とうとう「カテリーナ」が爆発しましたね、彼女のヒステリーは彼女の正体を表す指標のようなものでしょう、そして、ここで「ドミートリイ」が下手人だと、そしてそれは彼の病気が原因だということです、彼女はそう証言することで「イワン」を救おうとしたのでしょうか、「イワン」は自分が指示して「スメルジャコフ」が手を下したと証言しましたから、このままであれば「イワン」が犯人にされてしまうかもしれませんので、彼を救おうとしたのでしょうか、いまひとつ「カテリーナ」の行動が個人的なものか、正義感からなのかわかりません。
彼女はわれを忘れてこう絶叫しました。
裁判長の方に彼女がさしだしている紙片を廷吏が受けとると、彼女は椅子に崩折れ、顔を覆って、全身をふるわせ、退廷させられる不安からわずかな呻き声も抑えようと努めながら、ひきつるように声もなく泣きはじめました。
この描写は丁寧ですね。
彼女の提出した紙片は、「イワン」が《数学のようにはっきりした》重要さをもつ文書とよんだ、飲屋《都》から出した例の手紙でした。
(961)で「イワン」は「殺したのがドミートリイではなく、スメルジャコフだとすると、もちろんそのときは僕も共犯だ。なぜって僕はたきつけたんだからね。僕がたきつけたのかどうか、まだわからんな。しかし、殺したのがドミートリイではなく、あいつだとしたら、もちろん僕も人殺しなんだ」と言っています、つまり、「ドミートリイ」が犯人でなく、「スメルジャコフ」が犯人だとすると自分も共犯だとはっきり言っています。そして、それを聞いた「カテリーナ」は「黙って席を立ち、自分の書き物机のところに行って、その上にあった手文庫を開け、何やら紙片を取りだして、それをイワンの前に置きました。この紙片こそ、のちにイワンがアリョーシャに、父を殺したのは兄のドミートリイだという《数学のようにはっきりした証拠》として語った、ほかならぬその文書でした。それは、いつぞやカテリーナの家で、彼女がグルーシェニカに侮辱された例の一幕のあと、修道院に帰る途中のアリョーシャに野原でミーチャが出会った、あの晩、酔いにまかせてミーチャがカテリーナ宛てに書いた手紙でした。」とのこと、それは酔っ払って感情的になって書いた文章です。
ああ、この手紙の持つ数学のような明白な意味がついに認められてしまったのです。
この手紙さえなかったら、ことによると「ミーチャ」は破滅しなかったかもしれませんし、少なくともあれほど恐ろしい破滅はしなかっただろう!
「破滅」とはどういうことでしょう、「カテリーナ」は最初の証言で「ドミートリイ」に有利な発言をしており、そのときは、この手紙を公表する意図はなかったのでしょう、しかし、ここで感情的になりすべてぶちまけました、もしかすると彼女の心の中には手紙を公表したいと思っていたのかもしれません、そうでなければ、手紙を処分しているでしょう、少なくとも法廷に持参するはずはありませんから。
くりかえしておくが、細部をそのままたどることはむずかしいです。
わたしには今でもすべてがたいへんな混乱に包まれたまま、思い描かれるのであります。
たしか、裁判長はその場ですぐ、法廷、検事、弁護人、陪審員に、この新しい文書を知られたはずです。
わたしがおぼえているのは、「カテリーナ・イワーノヴナ」が証人として尋問をふたたび受けたことだけです。
気持は落ちつきましたか、と裁判長がもの柔らかに問いかけたのに対して、「カテリーナ・イワーノヴナ」は勢いこんで叫びました。
「あたくしなら大丈夫です、結構ですわ! 十分お答えできますから」
どうやら相変らず何らかの理由で話をすっかりきいてもらえないのではないかと、ひどく心配らしく、彼女は言い添えました。
彼女は、これがどういう手紙か、どういう状況でこれを受けとったか、などをさらにくわしく説明するよう、求められました。
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