六 検事論告。性格描写
「イッポリート」は額とこめかみに病的な冷汗をうかべ、全身に悪寒と熱気をかわるがわるおぼえて、神経質な震えに身体をこまかくふるわせながら、検事論告をはじめました。
これは当人があとで語ったことであります。
彼はこの論告を自己の傑作と、生涯の傑作であり、白鳥の歌(訳注 辞世の歌の意)であると見なしていました。
(779)で「どうやら、彼の性格の難点は、本当の値打ち以上に、いささか自分を高く評価することでした」と書かれていますが、ちょっとこれは言い過ぎではないでしょうか。
「白鳥の歌」とは訳注でも書かれていますが、「死ぬまぎわに白鳥がうたうという歌。その時の声が最も美しいという言い伝えから、ある人が最後に作った詩歌や曲、また、生前最後の演奏など」とのことです。
たしかに、この九カ月後には彼は悪性の結核でこの世を去ったのですから、もし彼があらかじめ自己の最後を予感していたとすれば、結果的には実際に、最後の歌をうたう白鳥に自分をなぞらえる権利があったのかもしれません。
また(779)で、彼はまだ三十五、六で、検事ではなく検事補であり、「ひどく結核になりやすそうな体格」だとも書かれていました。
この論告に彼は自分の心のすべてと、あらん限りの知性とを注ぎこみ、それによって、少なくともわが哀れな「イッポリート」が抱きうるかぎりにおいての、市民的感情も、《呪わしい》疑問も心の内に秘めていたことを、思いがけなく立証してみたのでした。
「少なくともわが哀れな「イッポリート」が抱きうるかぎりにおいての・・・・・」と書かれていますが、これは傍聴席にいる語り手ではなく、作者が直接語っているのではないでしょうか。
彼の言葉がきく人の心を打った最大の理由は、その真剣さでした。
彼は真剣に被告の有罪を信じていました。
私はこれは彼が検事という立場を考慮してでも良くないことだと思いますが。
被告を糾弾したのは、単に命令や職責からだけではなく、《制裁》を訴えるときには、本当に《社会を救う》願望に身をふるわせていたのであります。
究極においては「イッポリート」に敵意をもつ婦人の傍聴者たちさえ、やはり、異常な感銘を受けたと白状したほどでした。
論告をはじめたときはとぎれがちの、かすれた声でしたのに、やがてすぐその声が張りを帯びて、法廷じゅうにひびき渡り、あとは最後までずっとそうでした。
しかし、論告を終えたとたん、危うく気絶しかねぬばかりでした。
「陪審員のみなさん」
検事は論告をはじめました。
「この事件はロシア全土にとどろきました。しかし、何をおどろくことがあろう、なぜ特に戦慄すべきことがあろう、という気がしないでもない。われわれにとっては、特にそう思われます。なぜなら、われわれはこの種のあらゆることに、きわめて慣れっこになっているからです! この種の陰惨な事件がわれわれにとっては、ほとんど恐ろしいものでなくなっているという、まさにその点にわれわれの恐怖も存するのであります! この点こそ、すなわち、一個人の個々の悪業ではなく、われわれのこうした慣れこそ、恐れなければなりません。好ましからぬ未来を予言する、時代の象徴ともいうべきこの種の事件に対する、われわれの無関心や、生ぬるい態度の原因は、どこに存するのでしょうか? われわれの冷笑的態度(シニスム)が-まだきわめて若いのに、もはや時ならず老いこんだわれわれの社会の、知性と想像力のあまりにも早い消耗が、その原因なのでしょうか? 根底まで揺るがされたわれわれの道徳的原理に、あるいは結局、その道徳的原理すら、ことによるとまったく存在しないという点に、原因があるのでしょうか? わたしはこれらの問題を解決するつもりはありません、ましてそれが苦痛にみちたものであり、すべての市民がその問題に苦悩するのが当然、というより義務であるからには、なおさらのことであります。わが国の新聞は生れて日も浅く、まだ小心翼々としてはおりますが、それでもすでに社会にある程度の貢献をしてきました。なぜなら、新聞がなければわれわれは、野放しの自由と道義的退廃との恐怖を、多少なりとも十分な形では決して知りえないからであります。げに新聞は、現陛下の御代に賜わった新しい公開裁判の法廷を訪れる者ばかりではなく、もはやすべての人に、その紙面を通じてたえずこれらの恐怖を伝えてくれるのです。そして、われわれはほとんど毎日のように、何をそこに読むでしょうか? ああ、そこにはたえず、今度の事件さえその前では色あせ、もはや何かごくありふれたものにすら思われるような、恐ろしい出来事が報じられているのです。しかし、何より重大なのは、わがロシアの、国民的な刑事事件の多くが、まさしく何か普遍的なものを、われわれが麻痺してしまった社会全体の不幸を証明していることであり、社会全体の悪であるその不幸とたたかうことはもはや困難であるという点にほかなりません。たとえば、上流社会に属する一人のかがやかしい青年将校は、自己の人生と出世街道をやっと歩みはじめたばかりの身でありながら、自分の借金の証文を取り返すために、卑劣にも夜半ひそかに、いささかの良心の呵責も感ずることなく、ある意味では恩人にあたる小官吏とその女中を斬り殺し、ついでに『上流社会での楽しみと今後の出世とに役立つだろう』とばかり、官吏の有金まで奪いとったのです。二人を斬殺したあと、この青年はどちらの死体にも頭の下に枕をあてがって、立ち去っております。また、勇敢な行為によって数々の勲章を授けられた別の若い英雄は、恩人である指揮官の母親を、追剥ぎのように街道で殺害し、しかも仲間をそそのかすにあたって、『あの人は俺を実の息子のようにかわいがってくれているから、俺の言葉なら何でもきくし、警戒なんぞするはずがない』と力説しているのです。これが悪党であるにせよ、今この現代においてわたしはもはや、これが一人だけ特殊の悪党であると言いきる勇気はありません。ほかの人間とて、斬り殺しこそしなくとも、この男と同じことを考え、感ずるのであり、心の中ではこの男とまったく同じように恥知らずなのであります。・・・・・」
検事の論告はまだ続きますが一旦ここで切ります。
ここまでは、まだこの事件についての直接の言及はなく、社会分析のようなことを喋っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿