2019年2月17日日曜日

1053

「たとえこの法廷に、あなた方の感じやすい心を打つ、どれほど雄弁で感動的な言葉がひびき渡ろうと、みなさんはやはり、この瞬間、裁きの聖堂におられることを思い起してください。みなさんが真実の擁護者であり、聖なるロシアと、その基盤と、その家族と、そのすべての神聖なものとの擁護者であることを、思い起していただきたいのです! そうです、今この瞬間みなさんはロシアを代表しているのであり、みなさんの判決は単にこの法廷だけではなく、ロシア全土にひびき渡って、全ロシアが自己の擁護者であり審判者であるみなさんの声に耳を傾け、みなさんの判決に励まされもすれば、悲しみもするのであります。ロシアとその期待を苦しめないでください。われわれの宿命的なトロイカは、ことによると破滅に向って、まっしぐらに突き進んでいるのかもしれません。そして、すでに久しい以前からロシア全土で、この気違いじみたがむしゃらな疾走を止めようと、手がさしのべられ、訴えがなされているのです。他の諸国民が今のところまだ、がむしゃらに突っ走るこのトロイカに道を譲っているとしても、おそらくそれは、かつて詩人の望んだように、敬意からでなどなく、単に恐怖からにすぎないでしょう。この点を心にとめていただきたい、恐怖からか、あるいは嫌悪からでありましょうが、それでも道を譲ってくれるうちはまだいいでしょう。ことによると、他の諸国民がやがて道を譲ることを突然やめて、驀進(ばくしん)する幻影の前に堅固な壁となって立ちふさがり、自己を救うため、文化と文明を救うために、わが国の放埓ぶりの狂気の疾走をみずから押しとどめるようになるかもしれません! そうしたヨーロッパからの不穏な声が、すでにわれわれの耳に入っているのです。すでにその声があがりはじめているのです。実の息子による父親殺しを無罪とするような判決によって、それらの声を挑発し、ますますつのる彼らの憎しみを貯えたりしてはならないのです!」

一言で言うなら、「イッポリート」はひどく夢中になってしまったとはいえ、やはり悲愴な感じでしめくくりました。

やっと「イッポリート」の論告は終わったのですね、論告の結語は「トロイカ」の話になってしまいました、彼が言いたかったことはそのことかもしれません、(1031)でも彼は言っていました、「・・・・一時代前の偉大な作家(訳注 ゴーゴリ)は、そのもっとも偉大な作品(訳注 『死せる魂』)の結びで、ロシア全体を未知の目的に向ってひた走る勇ましいトロイカに見立てて、『ああ、トロイカよ、鳥のようなトロイカよ、だれがお前を考えだしたのだ!』と叫び、さらに誇らしげに感激に包まれて、がむしゃらに疾走するこのトロイカの前にすべての民族がうやうやしく道をあけると、付け加えたものです。みなさん、これはこれでかまいません。道をあけるなら、うやうやしくだろうと、どうだろうとかまわないのです。しかし、わたしの大それた考えによれば、かの天才的な芸術家がこのように作品を結んだのは、小児のように無邪気なセンチメンタルな善意の発作にかられたためか、あるいは単に当時の検閲を恐れたからにすぎないと思うのです。なぜなら、ソバケーウィチとか、ノズドリョフ、チチコフといった彼の作品の主人公たちに、この馬車を曳かせたりしようものなら、たとえどんな人物を馭者に仕立てようと、そんな馬ではまともなところに行きつけるはずがないからであります! しかも、これは現代の馬には遠く及びもつかぬ、一昔前の駄馬にすぎませんし、現代の馬はもっと優秀なのです・・・・」と、つまり、この父親殺しの事件を、時代の変わり目に目的もみえぬ未知に向って「がむしゃらに疾走する」狂気と捉え、今のロシアの現状と重ねています、しかしそれはそれですぐれた分析だとは思いますが、肝心の裁判における論告としては当初からの思い込みが強く、それに支配されているような気がしました。

ここで私なりに簡単ではありますが「イッポリート」の長い論告をまとめてみました。

1)現代のロシアの問題点を挙げて、この事件との関連
2)カラマーゾフ家の家族の紹介、「フョードル」「イワン」「アリョーシャ」「ドミートリイ」
3)「スメルジャコフ」の自殺の報告
4)「ドミートリイ」が常に身につけていた千五百ルーブルを使わなかったことの口頭での反証
5)財産をめぐる争いや、父と息子の家庭における関係のまとめ
6)医学鑑定、「ヘルツェンシトゥーベ」博士、モスクワの有名な博士、若い医師「ワルヴィンスキー」のうちの「ワルヴィンスキー」の「ドミートリイ」が正常であると言う意見に賛成し、「ドミートリイ」は正常だとする
7)「ラキーチン」の意見に基づく「グルーシェニカ」の否定的な性格分析
8)「ドミートリイ」が狂気にいたった五つの理由
9)「ドミートリイ」が「手紙」に書いた犯行の計画性
10)「ドミートリイ」が町中で吹聴していた殺人が具体性を帯びたのは「手紙」を書いたときであるが、同時にそれを回避するために必死になって行動していた、つまり「サムソーノフ」を訪問したことや、「セッター」を訪ねた小旅行などを詳しく説明
11)《裏庭》で「スメルジャコフ」と「グリゴーリイ」が病気であることを知ったこと
12)「ホフラコワ夫人」に金鉱行きをすすめられたこと
13)《合図》の説明
14)「スメルジャコフ」有罪説を支持するのは「イワン」「アリョーシャ」「グルーシェニカ」の三人だけであり、すべて確かな根拠はない
15)「スメルジャコフ」の性格描写、実際面で「フョードル」、理論面で「イワン」の影響、「ドミートリイ」に脅されて殺人の手助けをする
16)「スメルジャコフ」を正直者と判断し、癲癇も仮病ではないと説明
17)「スメルジャコフ単独犯行説」否定の根拠、彼の動機は金銭しか考えられず、その場合「ドミートリイ」に被害者の内実などを教えるはずはないということから否定、また当日の癲癇の病状からみても犯行を否定
18)「イワン」が法廷に提出した「スメルジャコフ」が着服していたという三千ルーブルについての反証
19)「封筒」が不自然に床に投げ捨てられたままになっていたというこそ半狂乱の「ドミートリイ」の仕業であり、彼が「グリゴーリイ」を介抱したのも、死んだかどうかの確認のためだと主張。
20)《まぎれもない以前の男》の存在を知って自殺を考え、最後に派手な酒宴をすることにした「ドミートリイ」の心理描写
21)彼は裏付けをとった証言やすべてにわたる細かい情況描写や供述の紹介によって陪審員に自説の正当性を確信させた
22)逮捕当時の「ドミートリイ」の犯罪者としての自己防衛をはかるための心理を犯罪者一般から類推して詳細に推測している
23)お守り袋に千五百ルーブルを縫い込んだことを作り話と否定、「グリゴーリイ」がドアから逃げる「ドミートリイ」を見たと嘘を証言
24)「ドミートリイ」の証言にも、彼を弁護する兄弟たちの証言にも、確固たる証拠がない、あれば取り下げる

25)結語として、事件をロシアの現状と結びつける

以上です。

そして事実、彼のもたらした感銘は絶大なものでした。

当の彼は、論告を終えると、そそくさと退廷し、くりかえして言いますが、別室でほとんど失神しそうになったほどでした。

法廷は拍手こそ送りませんでしたが、まじめな人たちは満足していました。

それほど満足していなかったのは婦人たちだけでしたが、その婦人たちにしてもやはり検事の雄弁は気に入っていましたし、まして結果をまったく心配せず、「フェチュコーウィチ」にすべてを期して、『やっとあの人の弁論がはじます。そうすればもちろん、どんな相手にだって勝つにきまっている!』と信じていたのだから、なおさらのことでした。

みんながちらちら「ミーチャ」を眺めていました。

私はこの論告を聞いて、自尊心の強い「ミーチャ」が何も言わなかったのが不思議でなりませんでしたが。

検事の論告の間ずっと、彼は両手を握りしめ、歯を食いしばり、目を伏せて黙って坐っていました。

ごくたまに頭を上げて、耳をすましていました。

「グルーシェニカ」の話になると、特にそうでした。

彼女についての「ラキーチン」の意見を検事が伝えたときには、彼の顔に憎しみにみちた軽蔑の笑いがあらわれ、かなりきこえよがしに「ベルナール野郎め!」と言い放ちました。

またまた「ベルナール」が出てきましたね、(932)で「ラキーチン」が「ドミートリイ」に話したフランスの生理学者で唯物論です。

「イッポリート」がモークロエで彼を尋問して苦しめた話を報告したとき、「ミーチャ」は頭を起し、ひどく興味深げにきき入っていました。

論告のある個所では、思わず立ちあがって何か叫ぼうとしかけたほどでしたが、それでも自分を抑え、軽蔑的に肩をすくめただけでした。

後日、論告のこの最終部分、すなわちモークロエで犯人を尋問した際の検事の手柄話をめぐって、「イッポリート」は、「あの男も、自分の才能をひけらかさずにはいられなくなったのさ」と、笑い物にされたのであります。

裁判は中断されましたが、ごく短い間で、十五分か、多くて二十分くらいの間でした。

傍聴席に話し声や叫びがひびいていました。

そのいくつかを、わたしはおぼえています。

「まじめな論告でしたな!」

あるグループで、一人の紳士が眉根を寄せて感想を洩らしました。

「心理分析に熱を入れすぎましたよ」

別の声が応じました。

「しかし、何もかも事実ですからな、否定できぬ事実ですよ!」

「そう、みごとな腕前だ」

「しめくくりをつけましたね」

「われわれにもですよ、われわれにも、しめくくりをつけたんです」

第三の声が加わりました。

「論告の冒頭、おぼえているでしょう、われわれはみんなフョードル・カラマーゾフと同じだと言ったのを?」

「終りにもね。ただ、あれはハッタリですよ」

「それに、あいまいな点もありましたな」


そして、これは余談ですが昨日、名古屋外国語大学が主催で日本ドストエフスキー協会が後援の「国際ワークショップ「表象文化としてのドストエフスキー」へ行ってきました、これは、科学研究費助成事業であり、このブログでも何回も出させていただきました亀山郁夫氏を中心に企画された事業のようですので興味があったのです、たまたま気づいたのが前日であり、急いで参加希望のメールを出したところすぐにご本人から大丈夫との連絡をいただきましたので参加いたしました、ステファノ・アローエ・沼野充義・諫早勇一・大平陽一・高橋知之・越野 剛・梅垣昌子・野谷文昭・林 良児・亀山郁夫・番場 俊の各氏の講演でしたが、タイトルどおりといえばそうなので私が文句言う筋合いなど全くないのですが、ドストエフスキーの核心の周りをぐるぐる回って、比喩的な表現をすれば、獲物を狙って上空をぐるぐる回ってはいるのですがなかなか獲物に喰らいつかないトンビのようでもどかしさを感じました、できればもっとガァーっと肉に食らいついていくパトスというかパッションが感じられなかったというのが率直な感想です、もっとも各氏が与えられた時間が短くてそういう展開には無理があるのかもしれません、ついでに言うと、とは言っても言い当てる適当な言葉がみつからないのですが、諸氏の講演内容を聞いて大学関係特有の何とも言えぬ、それは懐かしくもあるのですが、ある種の胡散臭さのようなものも感じました、これは学問だから仕方ないのかもしれませんが、合理的で科学的で学術的なものに関わる者にどうしてもつきまとうものであり研究発表するという行為につきものの何かだと思いますが、これは諸氏にその自覚があるがゆえにある種の胡散臭さを聴くものに感じさせるのかもしれません、とは言ってもいろいろとめずらしい内容の発表もありましたので、ゆっくりと反芻して考えてみたいと思います、5時間を超える内容でしたので少々疲れはしましたが、会場である東京大学本郷キャンパス法文2号館を出た時は真っ暗でした、安田講堂前の冬枯れのクスノキの道を歩きながら真っ先に思ったことは(Ora Orade Shitori egumo )でした。


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