2019年2月20日水曜日

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弁護人はこんなふうに説き起し、突然、声を張りあげました。

「陪審員のみなさん、わたしはこの町にはじめて来た人間です。わたしの受けた印象はすべて、先入観にもとづくものではありません。被告は粗暴な性格であり、野放図な人間で、おそらくこの町の百人もの人を侮辱し、そのために多くの方がかねてより被告に対して反感をいだいていたようでありますが、わたしはその侮辱も受けておりません。もちろん、当地の社交界の道徳的感情が憤ったのもしごく当然であることは、わたしも認めます。被告は粗暴であり、抑制のきかぬ人間だからです。が、それでも被告は当地の社交界に受け入れられ、才能豊かなわが検事の家庭でさえ目をかけられておりました」

(筆者注 この言葉をきいて傍聴席に二、三の笑い声があがり、すぐに抑えられはしたが、みなの耳に入った)。

検事が不本意ながら「ミーチャ」をわが家に出入りさせていたことや、それというのももっぱら検事夫人がなぜか彼を興味ある人物と見なしていたためであることは、周知の事実でした-検事夫人はきわめて道徳的な、立派な女性でしたが、空想好きなわがままな性質で、時によると、それも主として些細な事柄で夫に楯つくのが好きでした。

検事夫人は(779)で検事は「・・・・そのくせたいそう太った不妊症の女と結婚しており」と書かれていました。

もっとも「ミーチャ」はかなり時たましか検事の家を訪ねませんでした。

「それにもかかわらず、わたしはあえて仮定するのですが」

弁護人はつづけました。

「わが論敵のような、自立的な知性と公正な性格の内にさえ、わたしの不幸な依頼人に対して、ある種の誤った先入観が作られていたかもしれないのです。そう、これはきわめて自然であります。不幸な被告は、先入観をいだかれも仕方のないようなことを、あまりにもやりすぎてきたからです。傷つけられた道徳感情や、それにもまして美的感情は、時によると容赦ないものになることがあります。もちろん、才能あふれる検事の論告に、われわれは被告の性格や行為の厳密な分析と、事件に対する厳正な批判的態度をききとりましたし、何よりも、われわれに事件の本質を説明してくださるために深い心理分析が示されました。あの深層心理の洞察は、被告個人に対して多少なりとも意図的な悪意ある偏見をいだいている場合には、決して生れえなかったにちがいありません。しかし、このような場合、事件に対するきわめて悪意と偏見にみちた態度より、いっそう始末がわるく、いっそう致命的なものがあります。ほかでもありませんが、たとえば、ある種のいわば芸術的な遊びの精神、芸術的創作欲というか小説創作欲にわれわれが捉えられたような場合がそれで、特に神がわれわれの才能に恵んでくれた心理分析の天分が豊かである場合には、なおさらのことです。まだペテルブルグにいて、当地に参る支度をしているころから、わたしは警告されておりましたし、それに警告されるまでもなくわたし自身、当地で出会う論敵が深遠で緻密な心理学者であり、まだ歴史の浅いわが司法界に、もう久しくその特質によってある種の特別な名声を馳せておられることは、承知しておりました。しかし、みなさん、心理学というのは深遠なものでこそありますが、やはり両刃の刀に似たところがあるのです(傍聴席に笑い声)。おお、もちろん、みなさんはこの陳腐なたとえをお許しくださるでしょう。なにしろわたしは、雄弁に語るのはあまりにも不得手なのです。それでもしかし、検事の論告から思いつくままに一つ例をあげてみることにします。あの夜、被告は庭で塀を乗りこえて逃亡しようとした際、足にしがみついた召使を銅の杵で殴り倒した。それからすぐにまた庭にとびおり、召使を殺したかどうかを確かめようとして、まる五分もの間、被害者の世話をしていた。ところで検事は、被告がグリゴーリイ老人のところへとびおりたのは憐れみの気持からであるという供述の正しさを、なんとしても信じようとなさらないのです。『いや、あのような瞬間にそんな感傷が起りうるだろうか。それは不自然である。被告がとびおりたのは、自分の犯行の唯一の目撃者が生きているかどうかを確かめるためにほかならない。とすれば、そのことによって、彼があの犯行をやってのけたことを証明したわけだ。なぜなら、何らかの他の動機や衝動や感情によって、庭にとびおりたりするはずがないからだ』これが心理学であります。・・・・」

発言の途中ですが、ここで切ります。


「フェチュコーウィチ」は「イッポリート」の用いた心理学そのものに対して否定的なようですね、そして心理学によって被告の分析をする場合の分析する側の先入観のことに言及しています、つまり悪い噂が多い被告の心理を悪意を持って分析しているのではないかということで、さらにそれが創作的、作り話の要素もあるのではないかということです、「フェチュコーウィチ」はこれから彼に不利な多くの事実を一つ一つ潰そうとしています。


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