「フェチュコーウィチ」の弁論の続きです。
「・・・・彼は父に三千ルーブルを頼むため、最後に末の弟を派遣するのですが、返事が待ちきれずに、自分からあばれこみ、あげくの果てにみなの見ている前で父親を殴り倒しました。こうなっては、もはやだれからももらえる当てはないし、殴られた父親がくれるはずはありません。その日の晩、被告は自分の胸を、まさにお守り袋のかかっている胸の上部をたたいて、弟に、自分には卑劣漢にならずにすむ手段があるのだが、自分はやはり卑劣漢でとどまるにちがいない、なぜならその手段に頼りそうもないことが今からわかっているし、それだけの精神力と根性が欠けているからだ、と誓って告白したのです。あれほど純真に、誠実に、何の作為もなく、真実そのままになされたアレクセイ・カラマーゾフの証言を、なぜ、なぜ検事は信じないのでしょうか? それどころか反対に、なぜその金がどこかの隙間に、ウドルフ城の地下室に隠されているなどと、信じさせようとするのでしょう? その晩、弟と話したあと、被告はあの宿命的な手紙を書きます。あの手紙こそ、被告の強奪行為のもっとも主要な、もっとも重大な証拠であります! 『だれかれかまわず頼んでみて、もしだれからも借りられない場合には、イワンが出かけさえしたら、親父を殺して、枕の下から、バラ色のリボンをかけた封筒に入っている金を奪ってやる』 -これは完全な殺人の計画書だ、犯人は彼にきまっている。『書かれたとおりに実行されたのだ!』と検事は叫ぶのです。しかし、まず第一に、この手紙は酔払って、ひどく苛立ったときに書かれたものであります。第二に、彼自身は封筒を見たことがないのですから、封筒のことはまたしてもスメルジャコフの言葉から書いたのであります。第三に、手紙が書かれたのは確かですが、そこに書かれたとおりに実行されたかどうかを、何によって証明するのでしょうか? 被告は枕の下から金を取りだしたのか、金を見つけたのか、金は本当に存在したのでしょうか? それに被告がとんで行ったのは、金目当てにだったでしょうか、この点をよく思い起していただきたい! 彼がまっしぐらに駆けつけたのは、金を奪うためではなく、彼を悲しみに突き落した女性が、彼女がどこにいるかを突きとめるためでした。とすれば、計画書のとおりに、筋書きどおりに、つまりかねて考えていた盗みのために走ったわけではなく、突然、嫉妬に気も狂わんばかりになって、思わず走りだしたのであります! 『なるほど、しかしそれでもやはり駆けつけたあと、殺して、金を奪ったではないか』と言うかもしれない。しかし結局のところ、彼は殺しをやったのでしょうか、それともやらないのでしょうか? 強盗容疑のほうは、わたしは憤りをこめて否定します。何が盗まれたかを正確に示しえずに、強盗の容疑をかけることはできないからです、これは自明の理です! だが、それなら彼は殺人を犯したのか、盗みはしなくとも殺人をしたのでしょうか? その点は証明されたでしょうか? これもまた小説ではないでしょうか?」
「フェチュコーウィチ」は何を言いたいかというと結局、三千ルーブル強奪にしても、殺人にしても直接的な証拠が何もないということです、ところで直接的な証拠とは何でしょうか、たとえば犯人しか知り得ない場所から凶器が発見されたとか、現場に犯人の遺留品があったとかの物的証拠でしょうか、指紋鑑定や血液鑑定のない時代ですのでこのような証拠を見つけるのはなかなか難しいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿