2019年2月27日水曜日

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十二 それに殺人もなかった

「失礼ですが、陪審員のみなさん、ここには人間の一生がかかっているのですから、もっと慎重でなければなりません。われわれは検事が、最後まで、つまり今日の公判の日まで、疑う余地のない完全な計画的殺人の罪を被告に負わせるのをためらっていた、すなわちあの宿命的な《酔余の》手紙が本日の法廷に提出されるまで、ためらっていたと、みずから証言したのをききました。『書かれてあるとおりに実行された!』と検事は言うのです。しかし、またしてもくりかえしになりますが、被告が駆けつけたのは彼女を探すためであり、もっぱら彼女の居場所を突きとめるためにすぎないのです。これは確固たる事実であります。彼女が家にいさえすれば、被告はどこへもとびださずに、彼女のそばにとどまっていたでしょうし、手紙で約束したことも実行しなかったにちがいありません。被告は突然、思わず駆けだしたのであり、ことによるとそのときには自分の《酔余の》手紙のことなぞ、全然おぼえていなかったかもしれないのです。『杵をひっつかんだではないか』と言われるかもしれません。しかし、この杵一つから、なぜ被告はこの杵を凶器と見なし、凶器としてひっつかむのが当然であるか、等々と、完全な心理分析が引きだされたことを思いだしていただきたい。この場合、わたしの頭にうかぶのは、きわめてありふれた考えです。もしこの杵が目立つところに、被告がひっつかんでいった棚の上などに置いてなく、戸棚にしまってあったとしたら、どうでしょうか? そうすれば杵は被告の目につくはずもなく、被告は凶器など持たずに素手でとびだしたはずであり、ことによると、だれも殺さずにすんだかもしれないのです。いったいどういうわけでこの杵を、凶器と計画性の証拠と推断できるのでしょう? なるほど、しかし被告は父親を殺してやると飲屋でわめきちらしていたし、事件の二日前、あの酔余の手紙を書いた晩にはおとなしくしており、飲屋でもさる商家の店員と口論しただけだった。『それというのも、カラマーゾフは喧嘩をせずにはいられない人間だからだ』と言うかもしれない。これに対してわたしはこう答えます。もし、このような殺人を、それも手紙に書かれた計画どおりにやろうとたくらんでいたとしたら、きっと店員と喧嘩などしないだろうし、それにおそらく、飲屋になぞ全然寄らなかったにちがいありません。なぜなら、そのようなことをたくらんだ魂は、静けさと物陰を求め、人に見られたりきかれたりせぬよう、姿をくらまそうとするものだからです。『できるなら、俺のことを忘れてくれ』という考えからですが、これは打算によるものではなく、本能によるのです。陪審員のみなさん、心理学は両刃の刀であり、われわれとて心理学を解する能力は持っているのです。まるひと月も飲屋でわめきちらしていた件に関して言うなら、子供だの、飲屋から出てきた酔払いなどは、よく喧嘩をして、『お前なんか殺してやる』とどなるものですが、その実、殺しはしないのです。それに、あの宿命的な手紙にしても、やはり酔払いの苛立ちではないでしょうか、殺してやる、お前らはみんな殺してやるとわめく、飲屋から出てきた酔漢の叫びと同じではないでしょうか! なぜ違うのです、なぜそうであってはいけないのでしょう? なぜあの手紙が宿命的であり、なぜむしろこっけいなものと思われないのでしょうか? ほかでもありません、殺された父親の死体が発見されたからです、凶器を持って逃げてゆく被告の姿を証人が目撃し、自分の殴り倒された以上、すべてが書かれたとおりに実行されたことになるからであります。だからこそ、この手紙もこっけいではなく、宿命的なものとされるのです。ありがたいことに、われわれはやっと『庭にいたからには、つまり彼が殺したのだ』という点にたどりつきました。いた(二字の上に傍点)からには、つまり(三字の上に傍点)必ず殺したという、この二つの言葉に、すべてが、いっさいの起訴理由、『いた、それならつまり(三字の上に傍点)』という論法が汲みつくされているのであります。しかし、たとえいたとしても、つまり(三字の上に傍点)でないとしたら? そう、数々の事実の総和や、事実の符号がたしかにかなり雄弁であることは、わたしも同意します。が、それでも、それらすべての事実を、総和によって暗示されることことなく、個々に検討してみてください。たとえば、父親の窓のそばから逃げだしたという被告の供述の真実性を、なぜ検事はどうしても認めようとしないのでしょうか? 犯人をふいにとらえたうやうやしい気持や敬虔な感情に関して、この法廷で検事が放った嫌味を思い起していただきたい。もし本当にあのとき、それに似たようなものが、つまり、うやうやしい気持とまで言わなくとも、敬虔な感情があったとしたら、どうなのでしょうか?・・・・」

ここで切ります。

「フェチュコーウィチ」の「・・・・もし、このような殺人を、それも手紙に書かれた計画どおりにやろうとたくらんでいたとしたら、きっと店員と喧嘩などしないだろうし、それにおそらく、飲屋になぞ全然寄らなかったにちがいありません。そのようなことをたくらんだ魂は、静けさと物陰を求め、人に見られたりきかれたりせぬよう、姿をくらまそうとするものだからです・・・・」という分析はすばらしいと思いました、そして彼は「・・・・事件の二日前、あの酔余の手紙を書いた晩にはおとなしくしており、飲屋でもさる商家の店員と口論しただけだった。・・・・」と言います、たしかに(1039)で「イッポリート」は「・・・・この手紙をかいた晩は、飲屋《都》でさんざ飲んだあと、日ごろの彼らしくもなくむっつりして、玉突きもせず、片隅に坐って、だれもと口をきかずにいたのです。ただ、この町のさる商店の店員を席から追い払ったことはありましたが、これはもうほとんど無意識にしたことで、飲屋に入ったら喧嘩をせずにはおさまらぬ日ごろの癖が出たにすぎません。・・・・」と言っています、これは「おとなしくしていた」のか「騒いだ」か微妙といえば微妙な判断ですね。


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