2019年3月26日火曜日

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教会まで運ぶと言っても、さほど遠くはなく、せいぜい三百歩くらいでした。

澄みきった静かな午後でした。

寒さはきびしくなっていましたが、たいしたことはありませんでした。

ミサの鐘がまだ鳴りひびいていました。

「スネギリョフ」は古ぼけた、つんつるてんの、ほとんど夏物のような外套を着て、頭には何もかぶらず、鍔の広い古いソフトを手にしたまま、放心したようにそわそわと柩のあとについて走っていました。

何か解決しえぬ心配事をかかえているみたいに、だしぬけに柩の頭の方を支えようと手をのばして、運んでいる人たちの邪魔をしてみたり、そうかと思うと、柩の横に駆けよって、せめてその辺にでもどこか割りこむ場所はないかと探してみたりするのでした。

花が一つ雪の上に落ちると、まるでその花をなくすことに何か重大事でもかかっているみたいに、とんで行って拾いあげるのでした。

「あ、パンの耳を、パンの耳を忘れてきた」

ふいに彼はひどくぎょっとして叫びました。

しかし、少年たちが、パンの耳はさっきもうかき集めて、ポケットに入っていると、すぐに思いださせてやりました。

彼はとたんにポケットからパンの耳をつかみだし、確かめて、安心しました。

「イリューシェチカの言いつけでしてね、イリューシェチカの」

彼はすぐに「アリョーシャ」に説明しました。

「夜中にあの子が寝ているわきに、わたしが坐っていましたら、だしぬけにこう申したんですよ。『パパ、僕のお墓に土をかけるとき、雀たちが飛んでくるように、お墓の上にパンの耳を撒いてやってね。雀がとんでくるのがきこえれば、お墓の中に一人で寝ているんじゃないことがわかって、僕、楽しいもの』って」

「それはとてもいいことですね」

「アリョーシャ」は言いました。

「せいぜいこまめに持ってきてあげなければ」

「毎日来ますよ、毎日来ますとも!」

二等大尉は全身に気合いが入ったように、もつれる舌で言いました。

とうとう教会に着き、中央に柩を据えました。

少年たちは全員で柩のまわりを囲み、葬儀の終るまでそのまま行儀よく立ちとおしていました。

古い、かなり貧弱な教会で、金属の飾りのすっかりとれてしまった聖像がたくさんかかっていましたが、お祈りをするにはこういう教会のほうがなんとなく落ちつくものです。

礼拝式の間、「スネギリョフ」はいくらかおとなくしなったようでしたが、それでもやはりときおりは、例の無意識の、混乱しきったような苦労性が突発的にあらわれるのでした。

覆いや花輪を直しに柩に歩みよるかと思えば、燭台の蝋燭が一本倒れたときには、やにわにそれを立てにとんで行き、ひどく永いことかかずらっていました。

そのあとはもう落ちつき、鈍い不安そうな、なにか腑におちぬような顔で、柩の頭に辺に神妙に立っていました。

使徒行伝の朗読のあと、彼は隣に立っていた「アリョーシャ」に、使徒行伝の読み方が違う(二字の上に傍点)と、だしぬけに耳打ちしましたが、そのくせ自分の考えは説明しませんでした。

小天使の讃美歌のときには、いっしょにうたいかけたのですが、最後まではうたわず、ひざまずくなり、教会の石畳に額をすりつけ、かなり永い間そのままひれ伏していました。

いよいよ、お別れの讃美歌に移り、蝋燭が配られました。

分別をなくした父親はまたそわそわしかけましたが、心を打つ感動的な葬送の歌が、彼の魂を目ざめさせ、打ちふるわせました。

彼はなにか急に全身をちぢこめて、最初は声を殺しながら、しまいには大声にしゃくりあげて、短く小刻みに泣きはじめました。

最後のお別れをして柩に蓋をするときになると、彼はまるで「イリューシェチカ」の姿を隠させまいとするみたいに、両手で柩に抱きつき、離れようとせずに何度もむさぼるように、死んだわが子の唇に接吻しはじめました。

やっとそれを説き伏せ、もう階段をおりかけたのですが、ふいに彼はすばやく片手を伸ばして、柩の中から花を何本かつかみとりました。

その花を見つめ、何か新しい考えがうかんだために、肝心のことを一瞬忘れてしまったかのようでした。

彼はしだいに物思いに沈んでゆき、柩を担ぎあげて墓に運びだしたときにも、もはや逆らいませんでした。

墓は教会のすぐわきの柵内にあり、高価なものでした。

「カテリーナ・イワーノヴナ」がお金を出してくれたのです。

このような人に援助された高価な墓はこの一家には似つかわしくないように思われますが
、「スネギリョフ」は残された家族のために将来的にも「カテリーナ」に生活の援助を受けざるをえないので彼としては不本意であっても仕方がないのでしょう。


ここでは、一般人の葬式の様子がくわしく描かれていますね、主に「スネギリョフ」の落ち着かない様子をとおしての描写なのですが、それでも全体の雰囲気がよくわかります、世にある諸々の物事と違ってやはり葬式というのは特別なもので、読むものに、何か表現できぬ重苦しくて何者かに有無を言わさぬ強い力で自分の存在をぎゅっと掴まれたような感情を抱かせます。


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