「フェチュコーウィチ」の弁論の続きです。
「・・・・凶器は何か-庭で最初に拾いあげた石か何かでしょう。しかし、動機は、目的は? 三千ルーブルです、それだけあれば一旗あげられるからです。そう、わたしは自説に矛盾しているわけではありません。ことによると金は本当に存在したかもしれないのです。そして、おそらく、スメルジャコフだけがどこを探せばよいか、主人がどこに隠したかを知っていたのでしょう。『でも、金の包み紙は、床に破りすててあった封筒は?』先ほど検事がこの封筒に関して、床の上に封筒を置きすてていったりするのは常習犯ではなく、まさしくカラマーゾフのような犯人のすることであり、これだけでもうスメルジャコフの仕業ではない、彼なら自分に不利なこんな証拠を決して置いていったりしないだろうと、非常にデリケートな判断を述べられたとき、陪審員のみなさん、わたしはふいに、何かきわめて馴染み深いことをきくような感じを受けたのです。そして、どうでしょう、まさしくそれと同じ考えを、つまりカラマーゾフなら封筒をそんなふうに扱うにちがいないというその推測を、ちょうど二日前、ほかならぬスメルジャコフからきいていたのです。そればかりではなく、わたしがおどろいたのは、彼がわざととぼけて無邪気なふりをし、先まわりして、わたしが自分でその判断をひきだせるように、その考えを押しつけ、わたしに吹きこもうとしているかに思われたことです。彼は予審でもこの考えを匂わせなかったでしょうか? 才能豊かな検事にこの考えを押しつけなかったでしょうか? だが、グリゴーリイの老妻は、と言う人もいるでしょう。とにかく彼女は、病人が隣で夜どおし呻いていたのをきいたというのですから。なるほど、きいたにちがいない、しかしその判断はきわめておぼつかぬものです、わたしの知っているさる婦人が、夜どおし庭でスピッツが吠えていたので、眠れなかったと、ひどく愚痴をこぼしたことがあります。ところで、あとでわかったのですが、かわいそうな犬が吠えたのは、一晩を通じてたった二、三回だったのです。そして、これはごく当然のことです。眠っている人が、ふいに呻き声をきいて、起されたことを腹立たしく思いながら目をさまし、すぐにまた寝入る。最後にもう一度、やはり二時間ほどして呻き声がきこえる。一晩に都合三回ほど目をさましたことになります。翌朝この人は起きると、だれかが夜どおし呻いていたので、眠れなかったと、こぼすことでしょう。しかし、その人にしてみれば必ずそう思えるはずです。二時間ずつ眠っていた間、その人はぐっすり眠っていて記憶がなく、目をさました瞬間だけをおぼえているのですから、夜どおし起されていたような気がするのです。だが、それならなぜ、スメルジャコフは遺書で告白しなかったのか、『一方に対しては責任を感ずるほどの良心がありながら、もう一方に対してはそれがないのでしょうか』と検事は叫ぶのです。しかし、失礼ですが、良心とはすでに後悔のことであり、この自殺者には後悔などあるはずがなく、あったのは絶望だけでした。絶望と後悔とは、まったく異なる二つのものです。その絶望は憎悪にみちた深刻なものであるかもしれませんし、自殺者は自分の生命を絶とうとしながら、その瞬間、一生の間うらやんできた人々への憎しみを倍加させたかもしれないのです。陪審員のみなさん、裁判の誤りに気をつけてください! わたしが今みなさんに述べ、描いてみせたすべてのことは、いったいどこが真実らしくないでしょうか? わたしの話の中に誤りを見つけてください、ありえない点を、不合理な個所を見つけてください! だが、わたしの仮定にたとえ可能性の影なりと、真実らしさの影なりと存するならば、判決を思いとどまってほしいのです。しかも、はたして影だけでしょうか? すべての神聖なものにかけて誓いますが、わたしは殺人に関して今みなさんに申しあげた自分の解釈を、完全に信じているのです。そして何よりも、何よりもわたしを困惑させ、憤らせるものは、容疑内容として山のように被告に押しつけられた数多くの事実のうち、多少なりとも正確で反駁しえぬものがただの一つとしてないのに、もっぱらそれらの事実の総和によってのみ、不幸な被告が破滅しようとしているという思いにほかなりません。そう、その総和は恐るべきものです。あの血、指から流れ落ちる血、血まみれのシャツ、『親殺し!』という叫びのひびきわたる暗い夜、悲鳴をあげ、頭を打ち割られて倒れる老人、そしてさらにおびただしい量の証言や、説明や、しぐさや、叫びなど」-そう、これは強い影響を与え、人々の確信を買収するのです。・・・・」
ここで切ります。
後から発言する「フェチュコーウィチ」の方がすべてにわたって有利ですね。
「フェチュコーウィチ」は「・・・・だが、それならなぜ、スメルジャコフは遺書で告白しなかったのか、『一方に対しては責任を感ずるほどの良心がありながら、もう一方に対してはそれがないのでしょうか』と検事は叫ぶのです。・・・・」と言っています、これは(1044)で「イッポリート」が「・・・・そして彼は癇癪の持病と、突発した惨劇とのため、病的な抑鬱症の発作にかられて、昨夜、首をくくりました。首をくくって、『だれにも罪を着せぬため、自己の意志によってすすんで生命を絶つ』という独特の言葉で書かれた遺書を残したのです。この遺書に、殺したのは自分であり、カラマーゾフではないと、書き加えるくらい何ほどのことがあるでしょう。ところが彼はそれを書き加えなかった。つまり、一方に対しては責任を感ずるほどの良心がありながら、もう一方に対してはそれがないのでありましょうか?・・・・」と話した部分です、続いて「フェチュコーウィチ」は「・・・・良心とはすでに後悔のことであり、この自殺者には後悔などあるはずがなく、あったのは絶望だけでした。絶望と後悔とは、まったく異なる二つのものです。その絶望は憎悪にみちた深刻なものであるかもしれませんし・・・・」と言っていますが、よくわかりません。
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