「ずいぶんあたしをかばってくださいますのね、やさしいお嬢さま。何事にもたいそうお急ぎになりますわ」と、また「グルーシェニカ」がゆったりと言いました。
「お急ぎになりますわ」と言うのは、要領を得た「カテリーナ」の話のまとめ方ですね。
「かばう?かばうですって、あなたをかばうなんて、そんな大それたことがあたくしにできまして?グルーシェニカ、わたしの天使、手を貸してくださらなこと。このふっくらした、小さな、美しい手をごらんになって、アレクセイ・フョードロウィチ。おわかりになるでしょう、この手があたくしに幸福をもたらして、あたくしを生きかえらせてくれたんですわ。だから、あたくし、今この手にキスしますわ、手の甲にも、掌にも、ほら、ほら、ね!」
そして彼女は感きわまったように、本当に美しい、ことによるとふっくらしすぎているくらいの「グルーシェニカ」の手に、三度キスしました。
ここでの表現なのですが、「本当に美しい」だけでなく「ことによるとふっくらしすぎているくらい」と付け加えて書くのが、なんとも言えないところです。
相手は片手をさしのべたまま、神経質な、よくひびく魅力的な笑い声をたてながら、《やさしいお嬢さま》のしぐさを見守っていました。
そんなふうに手にキスされるのが、どうやら彼女にも嬉しいようでした。
『ひょっとしたら、あまり感激の度がすぎやしないかな』と、「アリョーシャ」の頭をちらとこんな思いがよぎりました。
彼は赤くなりました。
心が終始なにか特に落ちつきませんでした。
「あたしに恥をかかせないでくださいましな、やさしいお嬢さま、アレクセイ・フョードロウィチの前でそんなふうにあたしの手にキスなさったりして」
「じゃ、こんなことで、あたくしがあなたに恥をかかせようとしたと思ってらっしゃるの?」と、いくらかびっくりして、「カテリーナ」が言いました。「まあ、かわいい方、あたくしの気持ちをちっともわかってくださらないのね!」
何でしょうか、ここで「恥」云々と言っているのは。
必要以上に持ち上げている、つまり、褒め殺しということでしょうか。
「いいえ、あなたこそ、それほどすっかりわかってらっしゃるとは言えませんわ、やさしいお嬢さま。あたし、お嬢さまがごらんになっているより、ずっとわるい女かもしれませんのよ。あたし、腹黒い、わがままな女ですもの。かわいそうに、ドミートリイさんだって、あのとき、ほんのからかい心から誘惑したんですわ」
「あたし、腹黒い、わがままな女ですもの。」と言うのは、「カテリーナ」が先に言ったことに対する皮肉なのかもしれませんね。
そして、「あのとき」というのはいつのことでしょうか。
「でも、これからあの人を救ってあげるんでしょう。あなた、約束なさったのよ。あの人の目をさましてあげるって。ずっと前からほかの人を愛していて、その人が今プロポーズしていることを打ち明けるって・・・」
「あら、いいえ、あたしそんな約束はしませんでしたわ。それはみんな、あなたがご自分でおっしゃったことで、あたしは約束なんかしませんわ」
「それじゃ、あたくしの思い違いでしたのね」と、心もち青ざめて、小さな声で「カテリーナ」が言いました。「あたなはちゃんと約束を・・・」
「いいえ、お嬢さま、あたし何一つ約束しませんでしたわ」と、相変らず朗らかな無邪気な表情をうかべたまま、低い声で淀みなく、「グルーシェニカ」がさえぎりました。「今こそおわかりになったでしょう、お立派なお嬢さま、あなたにくらべてあたしがどんなにいやらしい、自分勝手な女かってことが。あたし、何かしたくなると、すぐそのとおり実行するんですの。さっきは何かお約束したかもしれませんけど、今こうしてまた考えると、ふいにあの人がまた好きになるかもしれませんわ、ミーチャが。だって、一度はとっても気に入った人ですもの、ほとんどまる一時間も気に入ってましたわ。だから、ことによると、あたし、今すぐ出かけて行ってあの人に、今日からずっとあたしのところにいたらって言うかもしれませんわよ・・・あたしって、ほんとに気が変りやすくて・・・」
いやまた、さすがに「グルーシェニカ」のこの発言は予想できませんでした。
この「さっきは何かお約束したかもしれませんけど、今こうしてまた考えると、ふいにあの人がまた好きになるかもしれませんわ」という部分はとんでもない発言ですね。
夏目漱石の「則天去私」を思い出しましたがそんなものではなく、的外れでしょう。
そして、「あなたにくらべてあたしがどんなにいやらしい、自分勝手な女かってことが。」というのも、「カテリーナ」の気位の高さを感じ取っての皮肉のように聞こえます。
「ドミートリイ」も「グルーシェニカ」との会話の中で「カテリーナ」のこのような性格のことも話していたのかもしれませんね。
それにしても、いきなり「グルーシェニカ」のこのあまりにも無責任な発言を聞いて「カテリーナ」はどう思ったでしょう。

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